見出し画像

能と歌舞伎

私は表現することが好きだ。日本には静と動の文化があると思う。例えて言えば、能は静、歌舞伎は動だ。この間、ある人と話してて改めて言葉にしたのだが私は静と動の表現なら静の表現の方が好きだ。人前で何かをパフォーマンスする時も能のように無表情で型を完璧にした上で表現していきたい。動の表現とは、顔の表情を作り型にのっとりながらもその人の個性を重視するものであると思う。歌舞伎では團十郎や猿之助など名跡というものがあって役者は名前を継ぐことで大柄の役をやるようになっていく。能には名跡という考え方がない。私の国立能楽堂時代の先生方も、江戸時代のような名前であったが本名でプレイしていた。野村萬斎さんが狂言はライブパフォーミングアーツであると答えていた。私は小説でライブパフォーミングアーツのような芸術ができないかと模索している。私の手元に観世流の和綴の謡本が3冊ある。もう一度よく読んでエッセンスを小説に活かしてみたい。正直なことを言うと小説を書くとはいうもののなにもアイデアが浮かんでいない。小説ってどうやって書くんだっけ?というところまで振り出しに戻っている。ライターズブロックというほど大げさなことではないけれど、もう一度原点に戻るべきかもしれない。私はまだ始まりの舞台にも立っていないのかもしれない。でも表現したいという欲求は日々高まっている。この小説を書きたいという夢がいつ成就するかわからないがもっと経験を積まなくてはならないと思う。前は東京に行っていたり、働いたりしていたので書く題材が山ほどあったが仕事を辞めて出かけることもしなくなった今、書く意味について考える瀬戸際に来ている。もっと深いところまで潜っていかなければ書けないだろう。自己内省を繰り返すしかない。しかし、現在の自分にとっていいこともある。静の表現だけでいい環境にいることだ。学校時代は動の表現ばかりが求められていたし、UNIQLOでも動の表現が求められていた。しかし今は家でも外でも落ち着いて静の表現をしていればいい。能のようにゆっくり時間が進んでいる。歳を重ねているという実感が湧いている。新しい時代はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。自分にとっての最高の小説を書く日が来ることを望んでいるし、源氏物語のような恋の物語を書きたい。時間にも、環境にも左右されない自分というのは己で勝ち取ったものだ。「過去を受け継ぎ、未来をみて、今を生きる。」これが自分の座右の銘になった。大仰ではなくありのままで小説家の仕事をする。それだけが今の望みだ。おそらく3年後、5年後も継続できていれば高みに登ることができるだろう。悩みが深ければ深いほど飛ぶ時のジャンプは高いはずだ。もうすぐnoteのこのマガジンをはじめて1年になる。いつか小説家という夢を叶えられるように健康を維持して精一杯努力していきたいし、雄飛という名前の通り世界を舞台に活躍したい。I will not give up.Challenge is Beautiful. Thank you so much! 

人生歌舞いて幽玄の美を追求すべし。


雄飛

noteは毎月更新しています。東京を歩くたびに僕の世界はアップデートされています。その日本一の都市で日々起こる日々の現象を描いていきます。お気に入りの記事があったらいいねコメントしてください。