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『ひきこもり人権宣言』(by暴力的「ひきこもり支援」施設問題を考える会さま)へのコメント〜「社会退避者の人権宣言」に向けて〜

暴力的「ひきこもり支援」施設問題を考える会さまの投稿『ひきこもり人権宣言』https://note.com/bouhikimon/n/nbd360e7316d8  ( 2021年12月23日 04:06 )への、当社コメント(『ひきこもり人権宣言』記事のコメント欄にて2022年1月1日に開始し、2月1日現在継続中)を、こちらのページでもまとめてしていきたいと思います。(ひと月単位など、まとまったタイミング等で)
さらに、当社/私の観点の整理を進め、「社会退避者の人権宣言」に向けて構成していきたいと思います。これについては別ページでパブリッシュすることを考えてみます。


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2022年1月1日 14:26

皆さま、明けましておめでとうございます。デープラ株式会社の藤原と申します
「信条/良心的な(交戦/人気集権/就業/学業/貨幣対価経済/政治体制/メディア収斂等、なんらかの全体・部分における社会への)参加/役務の拒否」をテーマのひとつにしている法人/者です

さて、https://diamond.jp/articles/-/292087 の記事からこちらを知り、明けましてお芽出度い正月に因んで、さっそく、こちらの宣言の精読はじめているところです

内容について、基本的には社会的危機の所在( 例えば池上正樹氏の記事 https://president.jp/articles/-/32082 , や消費者庁の https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/caution/caution_009/ にあるような見解)の危機意識を共有し、本宣言についても好意的に見ております

他方、よりリベラルな立場から「ひきこもり」自体をニュートラルな言葉と捉え、積極的行使/消極的行使の両面からいくつか断続的にコメント・課題提起したいと思います

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2022年1月1日 15:02

まず背景として、厚生労働省が近年定義するようになった制度的定義( https://www.mhlw.go.jp/seisaku/2010/02/02.html )による「ひきこもり」が、その構造上、解決されるべき問題状況(または問題行動)として着眼(また定義づけ)していることについてです。さらに、そのような社会的課題の定義にしたがって、課題当事者が、自己の立場を参照しているとすれば、これらの状況からも、問題的な強制力(社会的なレッテル付けや選択の自由等に対する越権の主張)が発生し得ると見ています。

そのような近年的な意味・状況定義で「ひきこもり」という用語(や語用)自体が差別用語化してしまった面があるのではないでしょうか。


さて、いくつか断続的にコメントしたいと思います。

まず、「ひきこもり状態は、家族、教育、労働環境、対人関係といった複合的要因によって生ずる現象であり、その意味で社会的排除、社会的孤立という側面を持つ。」について、より多様性に対してリベラルな立場から。

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2022年1月1日 16:07

より多様性にリベラルな立場からは、「ひきこもる」/ societal retreat 自体をニュートラルな言葉と捉えることができます。そうすると、積極的行使/消極的行使の両面から、また、前者に関わらず、望ましい/望ましくない状況としての「ひきこもる」という状態や選択があります。また、見る主体が誰かによっても意味合いが異なります。

積極的/消極的 × 望ましい/望ましくない × 見る主体

ある人が、何らかの宗教的・信条的理由から、きっかけとしては「消極的」に、ただ、本人としては「望ましい」理由で、周りの社会との関わりを断ち経済的に非生産的な状況で社会的孤立を実現しているとしましょう。
それを周辺社会および精神医療の一部の立場の人々が、なんらかの病理的もしくは望ましくない状態であり、解決に向け支援をしないといけないと考えることも(その自由は)あるわけです。
(例として、旧ソヴィエトなどではソヴィエト的なことに参加しない人々について、体制側の精神医学の立場から問題病理として扱うことが常套化。また現在、世界では、構造的に移民局や入管などでの人物の扱いに類似性があるかもしれません)

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2022年1月1日 16:45

[ 複合的要因 ] について

そうすると、「ひきこもり状態は、家族、教育、労働環境、対人関係といった複合的要因によって生ずる現象であり、その意味で社会的排除、社会的孤立という側面を持つ。」

の文脈を見るに、ここでは「ひきこもり」の背景を必ず「複合的」要因だとすることで、そのことばが指し示す事象の本質が、当事者の自由意思での「選択行為」、または、評価者の無批判な「ラベル付け」の単一要因が優位となるような、ケースの多様への考慮を除外することになるのでは。と、当社は考えるのです。

確かに相関関係というのは多様でありさまざまなつながりがありますが、他方で、因果関係が多様ということは、「必ず」「複合的」な要因がある、ということも断定しない、つまり、多様には、「単一」的に優位な要因の多様、「複合的」要因の組み合わせの種類の多様(含、単一性)、のように、尖がったモデル、平たいモデル、中間のモデル、などの多様を考慮することが重要でしょう。

次に、[ 社会的排除、社会的孤立という側面を持つ ] について意見します(続く)

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2022年1月2日 23:10

引き続き、宣言文・冒頭文のところで留まっていてすみませんが、ここに、現代の日本的社会の言説が無批判に前提としてしまう「ひきこもり」という語の文脈(言わば発することの言霊によってステレオタイプなレッテルが、有意な社会的意味実体と化すこと)があるので、そこを、一旦解し直す必要があると考え、ゆえに、冒頭文の前提に対して、クリティカルな視点の差異があり得ることを意見しています。

メディアや社会集団が現代のように一様でなかった時代、つまり画一的な感覚メディアが電子的手段ひいては印刷物ベースでも物量的な順応圧力が弱かった時代において、武器や兵力等の力による支配が集団に対する決定的な圧倒性を持っていたでしょう。しかし、その反面、言説なりメディアにおいて社会は現代のように一つではなかったので、[ 社会的排除、社会的孤立 ]という状態にも多様があったでしょう。他の村や階層など地理的、属性的、社会集団に対するものなど、現在も当然ありますが、近代以前は、特に大小集団の心理的・地理的・属性的な距離感という点では、社会的排除や社会的孤立がより多様であり、また、相互への警戒感や攻撃性も高かったと考えられます。

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2022年1月2日 23:58

これは、感覚(行動規範に関わる)上、共通語の運用範囲が狭く、また相互の生活情報が少ないことで未知からの警戒感もあったことにもよるでしょうが、このような外部性への警戒性は、地域集団内においても、逸脱者(また被差別対象者)に対する村八分や排除が発生する原型ともなっていたと想像します

そのような昔の時代でも、[ 社会的排除、社会的孤立 ] の範疇としても、個人が外部接点から引いて「籠る」という状態(そのうち社会的困難が伴う状態)は、さまざまな理由から発生していたとは想像できます
また、社会的困難が伴うかどうか不明な -- 世捨て人、無職の遊び人、乞食、座敷牢等の被監禁者 -- 等々の「経済」から「引いている」人口については、産業化以降の現代のような労働生産構造社会になる以前の近世においては、相当に存在していたかもしれません(江戸時代における床屋文化等、ここは不確かな知識ですが)

しかし、そこでは個人の「ひきこもる」「引いている」ということが、他の大小集団内外での多様な相互作用による社会的排除や社会的孤立の分量の中で、どの程度、顕著な社会的な意味(社会規範上の問題としてのそれ)があったか

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2022年1月3日 00:53

むしろ、現代ほど均一ではなかった昔の社会においては、(そもそも人権意識も、精神病理心療意識も、社会脱落からの立ち直り支援意識も、至極、産業的現代社会が発達させた制度と意識であり)昔ならば、さまざまな大小の社会集団どうしの警戒的社会的規範の視点に立つと、むしろ、集団や個に関係なく、他の不要なものを排除、孤立させ、カットオフすることが正義と考える傾向が優位だったのではないでしょうか。

さて、時代背景の束縛からいったん引いたところで、ここで、私が「社会」と「ひきこもる」との関係性で指摘したいことがあります。それは、ニュートラルな本来の語が指し示す「ひきこもる」ことが、その行為の他方の対象として「社会」という、tangible/手の届く有形かつ動的な場面への操作が、必ずしも、一義的に(ひとつとは限らない大小の)社会との関係性を断つまたは除外することにはならないことについてです。例えば、ある社会との関係性を断つことで別の社会との関係性を構築するきっかけができることがあります。他方で、ある社会から「ひきこもらない」ことにより、他の社会との関係性を断つまたは除外することになりうるということです。

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2022年1月3日 01:22

さらに私が指摘したいのは次です。認識主体が選択または強いられて「ひきこもる」または「ひきこもらない」対象となるその「社会」について、それが、そもそも境界を持たない全体として指し示されているとき、(しばしば)抽象的な集合概念に過ぎない。他方で、人が接点を持つ実体のある固有の「社会」は、多様な実体やつながりであり、複合的に繋がることともあれば、社会どうしが繋がっていないこともある。このことから、そもそも自由選択の主体は、どの「社会」を選ぶかについての基本的権利を(これも抽象的にですが)持つ、ということです。

ここで 「ひきこもり人権宣言解説」に 宣言文・冒頭文の [ 社会的排除、社会的孤立 ] の状況的強制に関連する該当部分が示されていますので、視点の差異について考察します。

「2.二段落目 ひきこもり状態に至らせた背景こそが悪
(a)社会モデルから考える 」

「ひきこもる人は、自らの意志でひきこもるのではなく、「社会によってひきこもらされている」と言えるのだから、ひきこもることで苦しんでいる人たちを助けるためには、変わるべきは社会という社会モデルが必要である。」

(続く)

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2022年1月3日 14:16

★休憩コーナー|コーヒーショップ@アムステルダム圏外★
2022年1月3日 14:16→ 1/4 18:49~
(note.comコメント編集可知りテスト中 汎用系はcommons, nonproprietary, interoperable 非所有経済圏活動も望ましいですね)

長くなりそうなので着眼要素の備忘メモ等、折々混ぜたいと思います

◆備忘着眼メモ
・ウイグル問題、強制労働、強制収容、普遍化観点
・国際人権団体の立場や打診
・既権益制等行政以外の強制権力
・かなり以前、韓国等で引出し屋や更生施設問題のニュース等がなかったか
・ひきこもり→社会忌避 ⊂ 社会退避 're-fugere'
・不登校→ 登校/学校忌避 ⊂ 登校/学校退避 他→学業退避
・制度退避含政治信条、例:Sweden
・精神医学・心理臨床の制度乱用や制度暴走/反精神医学や批判精神医学の観点
・社会選択のしやすさ、多様な社会集会の自由、自発的社会形成の自由
・脱、単一型経済社会への自由
・社会選択自由⊂集会選択自由
・社交自由のGeist
・社交人気の権力階層・序列制度と選択自由の状況矛盾(抑制・抑圧)や抵抗

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2022年1月5日 09:43

(休憩コーナー続き)
・日本で顕著に心理的「ひきこもり」(物理的とは限らない、立場弱者の自己主張や自己肯定の抑制・抑圧)が多い背景
→被・教育(含、教育心理臨床)の受動性(教えるー教わる、指摘するー指摘される関係性の強制性の顕著さと制度化)
→関係性の年齢性別等ピアグループへの偏りや制度的閉鎖圧力
→一部の家族関係性:子の受動性(家父長制に限らない:フランス、日本人母による実子の誘拐に逮捕状)
・その他並行関連
→「家庭経済」「社会経済」的商品としての子供や、里親制度・児童養護施設等の制度や親和性のある関係者の性質傾向、業界内での関係者集団の自己美化・社会貢献美化傾向(自己実現表現として等)や隠蔽問題
https://www.businessinsider.jp/post-232398
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E6%96%BD%E8%A8%AD 児童養護施設

・社会病理としての偶像宣伝・シンボル崇拝型メディア依存(直接対人関係が希薄・形式化してきた商製品依存型の日本経済文化)

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2022年1月5日 17:28

(休憩コーナー続き)
・教育心理臨床現場における「グレ」の方がまだタチがいい、という病理(擬)学的な児童評価の序列づけ文化(やんちゃは病理の度合いが小という信仰/犯罪心理学他、法執行・刑事寄りの別分野にバトンタッチできる等)
また、そのような社会病理(また一部そのような親和性のある人材の教育や教育心理業界内の相対的多さや居着きの問題、それらが日本的な医学制度上の精神医学から免責される問題、そのことの個別パーソナリティ・個別社会構造連結的な社会病理性)
・戦中の人体実験の主導層が戦後も、米への情報提供と引き換えに日本医学会の中枢の形成に含まれた面もあるという、政治(業界アドボカシー・ロビイング)体制も絡む政治・社会・経済構造的課題
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20170915/index.html
・日本におけるハンセン氏病患者へ重篤な人権侵害政策、宇都宮精神病院事件、戦後も90年代まで続いた優生保護法の優生学的な視点の一部医学的主義のあり方と権益の関係等々
https://www.fnn.jp/articles/-/29861

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2022年1月5日 18:47

さて、楽しい休憩コーナー@ア圏外から、本題に戻りましょう。

休憩前のところから再掲しますと:

>ここで (「考える会」さまの)「ひきこもり人権宣言解説」に 宣言文・冒頭文の [ 社会的排除、社会的孤立 ] の状況的強制に関連する該当部分が示されていますので、(多様の中での)視点の差異について考察します。

「2.二段落目 ひきこもり状態に至らせた背景こそが悪
(a)社会モデルから考える 」

「ひきこもる人は、自らの意志でひきこもるのではなく、「社会によってひきこもらされている」と言えるのだから、ひきこもることで苦しんでいる人たちを助けるためには、変わるべきは社会という社会モデルが必要である。」

について。

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2022年1月9日 11:27

拝見するに、実は「ひきこもり人権宣言」のpdf版では、p35の『人権宣言作成余話』文:Jonathan Livingstone 様※のように「宣言の方向性に対して疑問が生じ(略)いったん作成グループ中枢とは距離」を置くことになった方の意見も記されています。

上記の本文を読むに、この辺り、私なりの視点で見ると、少なからず「苦行」としての側面があるにせよ、むしろ積極的な主体の選択的行為としての「ひきこもり」(すなわち厚生労働省といった行政またその依拠する一部「専門家」グループの側が傾向としてセットで相乗的に定義づけたい背景属性群とは異なるような属性群)というものが存在しているということの主体的な(権利)宣言になっていると思うのです。


※仮名と思いますが、昔、ヒッピーの間で流行った本に関連しますが、脱世俗的消費生産主義また反「プロテスタント的職業倫理」の観点に関係があるかも知れません:https://en.wikipedia.org/wiki/Jonathan_Livingston_Seagull

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2022年1月9日 11:48

p36 『人権宣言作成余話』文:Jonathan Livingstone 様から引用すると、
●「今後のわれわれの活動の基軸は、ひきこもり者にありがちな弱さ・動け なさ・つまらなさの意識から隔たった所に据えられなければならぬ、と予感しているのだが ......、先進的な同志たちの間でも、こうした姿勢が普及するにはなお時間を要すると観取し、 プロジェクトに一定の距離を置きつつ、関わることにしたのである。」

のあたりと、

「考える会」さまの「ひきこもり人権宣言解説」「2.二段落目 ひきこもり状態に至らせた背景こそが悪」:「(a)社会モデルから考える」部分、
●「「ひきこもる人は、自らの意志でひきこもるのではなく、「社会によってひきこもらされている」と言えるのだから、」

これら2つの視点は、選好するケースによっては端的に矛盾することもあるでしょう(積極的選択 × 望ましい/望ましくない × 本人主体)。矛盾しないケース(消極的 × 望ましい × 本人主体)もあるでしょう。


次に、この辺りの差異の多様について、当方の考えを述べたいと思います。

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2022年1月9日 12:25

2022年1月3日 01:22の当社コメントからの再掲ですみませんが、



さらに私が指摘したいのは次です。

認識主体が選択または強いられて「ひきこもる」または「ひきこもらない」(退避する/しない)対象となるその「社会」について、

それが、そもそも境界を持たない全体として指し示されているとき、(しばしば)抽象的な集合概念に過ぎない。

他方で、人が接点を持つ実体のある固有の「社会」は、多様な実体やつながりであり、複合的に繋がることともあれば、社会どうしが繋がっていないこともある。

このことから、そもそも自由選択の主体は、どの「社会」を選ぶかについての基本的権利を(これも抽象的にですが)持つ、ということです。 




補足追記すると、参加する/しない・退避する/しない選択対象となる固有な社会を指示・定義する権利があること。そのような固有な社会から何を強いられているのか、強いられる必要や義務の是非、Oppressionの有無について表現・言論・議論する自由権利があること。

そして、

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2022年1月9日 12:28

(文続き)
賛同しないなら、当該の固有社会について退避する権利があることと同時に、固有社会を選択する自由権利があること。また、目の前に望むべく固有社会がなければ、多様の中から関係性を選択して集会し、つながりを自らの手で形成して社会を選択的に創造・構成していく自由権利も、創造的な社会選択自由として含まれます。

このような、社会選択自由の権利があるということです。これは集会の自由にも関係しますが、表現の自由、ひいては創造の自由と併せ、参加する生活圏に関するより構造的な概念となります。(要素の集合ではなく機能を持った群としての社会ですので、ここでは社会の大小は関係ないでしょう。例として、ネアンデルタール人の生活圏が数人規模の小規模な家族群に孤立し別れて生存しているケースがあったとすれば、文化(人/生態系)類学的には、家族=社会というケースもあるでしょう)

(続く)

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2022年1月21日 15:19

また、ニュートラルな視座での、仮に旧称としますが「ひきこもり」→すなわち「社会退避の実行者」には、少なからず直接間接に社会的な問題意識を持っているグループ(ただしアドボカシー機能として繋がったり仲間で連帯しているとは限らない)が含まれている、と見てよいでしょう

家を持たない場合は、地政上の難民が社会退避するケースや、経済的困難から社会退避するケース、日本等で外国人技能実習生が経済主体としての会社やその従業者から暴行を受けて当該の社会関係性から脱出し、シェルター等に保護を求めているケースもあるでしょう

これらの社会退避者においては、直接間接に社会の何らかの側面の現状と利害相反し、そのことに対して、直接に支配集団から自らの意思に反して排除されるまたは自らの意思で参加離脱する等のいずれの場合でも、利害相反する当該社会に対する異議や問題の所在を意識しているケースが少なからずある、ということです。

https://www.sanyonews.jp/sp/town/cinema/news_detail/1219046
「暴行「我慢するしかなかった」ベトナム人技能実習生が会見 2022年01月

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2022年1月21日 16:26

なお、社会選択の自由に関する話を進める前に、一点、私の認識上の理りとしてことわっておきたい事に、ニュートラルな視座での「ひきこもり」をsocietal retreat(社会退避) としましたが、そこにも心理的・メンタルヘルス的な多様があるということです。

「社会」退避をしていない生活者一般にさまざまな心理的・病理的多様があるように、また、多様な難民の状態にある人々にも多様な属性があるように、「社会」退避している生活者にも、心理的かつ社会的な孤立による(極度な)困難という意味での「心理・社会的ひきこもり」(severe) psychological & social withdrawal があり得る(但し環境により多数派とは限らない)ということです。

他方、一見、社会生活から退避せずも、心理的に多様な関係可能性に対して自ら閉じ、心が孤立しての困難(社交上の恭順、超自我的に社会許容や「善良」等の役割を自他に強いられる等生きづらさや自死)、その逆に、多様な関係性や権利尊重に対して狭隘で、排他的・支配的・暴力的・「自分たち正義」的等であることによる(他者から見た脅威や危険性としての)困難、

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2022年1月21日 16:28

これら困難の多様は、現象視界を広角に撮った両極とその間が成すスペクトラム(虹の幅)から、性格・人格多様性により表れには幅があると思いますが、仮に「心理的ひきこもり」psychological withdrawalとここでは言うことにしましょう。

仕事・組織研究と心理学の重なる領域では次のような側面
https://wikispaces.psu.edu/display/PSYCH484VLN/13.+Withdrawal+Behaviors

一般社会生活をしながらの「心理的ひきこもり」も程度の多様が考えられ、また、極度な (severe) psychological withdrawal 「心理的ひきこもり」も、集合上の意味での「一般社会」において、社会課題としても顕著にあり得る(環境により少数派とは限らない)ということです。

ここでも「心理的」に「ひきこもる」ことが、そのまま、多様な「社会」的倫理規範に則り、全くもって望ましくない困難であったり、それが不健全であるので何らかの治療を強制的に行わなければならない等として、断定または断罪されるべきということを私は全く主張していません。

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2022年1月21日 17:33

(※ また、ここでは直接テーマにしませんが「心理的」に「おしひろがる」性質についても、「ひきこもる」ことと同様かつ並行して心理的・病理的多様があり、これについても同様と考えます。これらの極性はユング心理学でいう「外向性・内向性」とは概念的に異なるものですので、安易な混同のないようにしたいところです。)

()の前に戻りますが、すなわち、困難なメンタルヘルス的な側面があり得る(多数派とは限らない)ということは、(極度な)困難が発生し得る状況でも、当事者が最終的には自由意志・自己責任で選択できる対処のための選択肢の多様が確保される必要がある、また、そのような選択肢の幅に、(「社会」選択を含む)選択自由の自然な権利が存在すると考えるのです。

さらに、メンタルヘルスケア(健康管理)やメンタルイルネス(病理)についても、さまざまなディシプリン(学術上等の門徒)やプロフェッション(商職務上の専門)による多様で相反する見解があります。外部・内部からの多様な障害 obstacleに向き合う人も、コンディションが良くてもメンテナンスや目的のため、外部・内部からの課題 challengeに向き合う人も、

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2022年1月21日 18:31

(続き)
いずれも主体的な向上心を持って(メンタル含)トレーニングのスタイルを選ぶ権利があります。そこには、多様な考え方の選択肢について自由に考えを巡らすことができ、視野の広がりの中から教養を日々深め、自らが客観的な判断で選択する(主観的・直感的に選択する権利も有する)べきと考えるのです

日本のメディアや出版、教育などでは著名性・優勢・断片的な情報等からの単一の「「専門家」の意見を聞きました」等によるメッセージの短絡化や、独力思考の拒否や思考停止・放棄(思考代理制)が強い傾向にありますが、その時々の流行りの言説や権勢=正解であったり、世論多数決が単一の正答だということではないでしょう。

西欧米などの、多様な国家間・民族・人種間の対立を乗り越えてきた、かつ、現在も乗り越えなければならない地域では、意見多様性のや利害対立が当然あることとしての多様の中から議論をどう継続して深め、多様性を深めて変化していくか、はじめから対立の所在を認めることを織り込んだ文化なりメンタルがあるわけです。(その対立が極端化・先鋭化する場合もありますが)


さて、ここで社会選択の自由の話に進みたいと思います。

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2022年1月23日 11:18

社会選択の自由の(より具体的な)話に進みたいと思います。

ここではより横断的に、「暴力的『ひきこもり支援施設』を考える会」さまの『ひきこもり人権宣言』の前文と条項、対応する「ひきこもり人権宣言解説」(後者が多分量)と照らし合わせながら、「社会・集会」「生活・経済」「人権・規範」「退避・参加」「選択・創造」などに関わる視座の多様を踏まえた、アクションの前提となる可能な視座の(多様のひとつとしての)再構成を試みたいと思います。

先に2022年1月3日 01:22, 2022年1月9日 12:25, 2022年1月9日 12:28 の当社コメントで、抽象的な集合としての「社会」とは別に、生活の実体としての固有の「社会」が単一のものではないこと、また、次のように触れました:
「参加する/しない・退避する/しない選択対象となる固有な社会を指示・定義する権利があること。そのような固有な社会から何を強いられているのか、強いられる必要や義務の是非、Oppressionの有無について表現・言論・議論する自由権利があること。そして、賛同しないなら、当該の固有社会について退避する権利があることと同時に、

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2022年1月23日 11:18

固有社会を選択する自由権利があること。また、目の前に望むべく固有社会がなければ、多様の中から関係性を選択して集会し、つながりを自らの手で形成して社会を選択的に創造・構成していく自由権利も、創造的な社会選択自由として含まれます。」


対「社会」の基点で対照しながら
「〜考える会」さまの『ひきこもり人権宣言』の宣言文と条文、解説文から「社会」についての言及で社会の構造的な問題に対する改善・変革の要求行動に関係する部分を一部ピックアップすると:

宣言文の一段落目「ひきこもることは、命と尊厳を守る権利の⾏使」
→対応する解説文(pdf ではp5〜)で
「ひきこもり⼈権宣⾔は、上記要件((※補記)解説文中→社会の⼈々の要求⾏動があること)の要求⾏動であり、ひきこもり当事者の切実な思いから始まった社会運動である。」

宣言文の二段落目「ひきこもり状態に⾄らせた背景こそが悪」の本文に「社会的排除、社会的孤立」「家庭や社会の改善」
→対応する解説文で「(a)社会モデルから考える」等

「第7条 頼る権利 」
本文「ひきこもり状態にある⼈は、⼈や社会に頼る権利を有する。⾃⼰責任論によって孤⽴し、

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2022年1月29日 11:41

(続き)
ひきこもり状態を⾃分の⼒で抜け出せなくなった⼈は、⼈や社会に頼ることを否定されない」
→対応する解説文の14項の末部分(pdfではp14後半)で「頼る権利は、頼れる社会が実現することによって実質化される」等
(ピックアップ・引用ここまで)

「暴力的『ひきこもり支援施設』を考える会」さまの『ひきこもり人権宣言』及び対応する「ひきこもり人権宣言解説」からの上記部分等からも、「ひきこもり」という呼称を付けられた「社会退避」の当事者が、主体的・積極的な社会運動として、新しい社会のあり方を選択的に創造していこうという宣言にも読み取れます。(但し、立場の多様により異なる場合もあるでしょう)

当方側の視点・言語で言うと、基本的な自由権利(概念的な自然権としての人権・生命権・存在権に含まれる自由)として
「目の前に望むべく固有社会(複数主体間関係性)がなければ、多様の中から関係性を選択して集会し、つながりを自らの手で形成して社会を選択的に創造・構成していく自由権利も、創造的な社会選択自由として含まれます。」」と言うことです。

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2022年1月29日 14:21

なお、『ひきこもり人権宣言』の本文で「社会」についての言及は比較的少なく、まとめると3箇所であるかと思います。

・宣言文の二段落目の「社会的排除、社会的孤立」の背景と「家庭や社会の改善」要求権
・四段落目の「引き出し屋は TV 番組に出演することで広く社会に認知」の事実
・「第7条 頼る権利」の「⼈や社会に頼ることを否定されない」

この点は、「暴力的『ひきこもり支援施設』を考える会」さまで宣言を策定されるにあたっての共有項としての「社会」視座は、解決すべき課題として客体化・外部化された対象としての「社会」の位置付けが中心であるように(も)思われます。当然、人権宣言ですので(また、暴力的『ひきこもり支援』施設問題に対処する目的での宣言なので)、当事者側が主で、その権利についての表現がメインになり、「社会」が外部というのは理解できることでしょう。

他方、『ひきこもり人権宣言』が社会的要求による「社会運動」だと言及(解説文にのみ出てきますが)している側面があるということは、

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2022年1月29日 14:21

より積極的に、自らを(集合的・抽象的または固有・具体的な)「社会」の当事者として宣言し、「社会」を当事者の外部としてだけでなく、当事者に内部化した上での「社会運動」であることを(も)意味するでしょう

そのように考えると、当事者の呼称として
ニュートラルな言葉として捉えようにも、ステレオタイプ的に専ら「社会」の存在認識から引き篭もっている心理的な様相を想起しやすい「ひきこもり」という近年のワンシナリオな表現より「社会退避」という表現、当事者は「社会」の所在を外部性と内部性の両面で認識し得る人々を含むがその理由は多様であることに開かれた表現のほうが、多様な状況に対して整合性があるのではないか、と考えるのです

(心理的な様相や困難、内外の障害等、その有る無しも多様であることを踏まえ、背景や可能性の多様を包含する、さらにニュートラルな表現として)

当然、内部に広がりのある社会関係性を持って生活している人々も含む、また、外部化した社会の問題様相に対峙・対決する競合・競争・紛争・解決交渉的な社会関係性を持って生活している人々も含む、そのような「社会退避」の実行者でありうる、ということです

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2022年1月29日 19:35

社会選択の自由の(より具体的な)話につながりますが、ここで「社会」の(自己主体への)内部化の点に着眼して見ましょう。まずは、思考実験としてイメージしてみるのもよいかもしれません。

例えば、経済的な仕事を持っていない「社会退避」の実行者群が、自ら志向する趣きに従い、経済的な仕事以外の無給の社会運動のために連携し、アクティヴィストの(社会)グループを形成しているとしましょう。それは、地球温暖化を阻止する活動を目的としたスウェーデンのグループであるかもしれません。就労年齢層より若い就学年齢層であれば、示威・抗議のために、学校への出席を拒否し、活動グループの構成員によっては家から出ず、専らリモートのパソコンや携帯端末を使った電子的手段で、テキストチャットやツィートのやりとりやリモートのビデオ会議に参加するかもしれません。時代が(20)00年代半ば〜後半だったとすれば当時のオンライン・メタバースの(ネットバブルな)サービス「セカンドライフ」内で活動を展開しているかもしれません。

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2022年1月29日 19:36

(続き)または、日本国の経済ファンタジー的には村上龍氏小説「希望の国のエクソダス」(2000年) の構図も興味深いと思います。運動としての学校拒否を開始した中学生グループにとって、「社会」の(自己への)内部化はどのようなものとしてあり得るのか。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167190057
(出版社サイトから)
「2002年、一斉に不登校を始めた中学生がネットビジネスを展開し、遂には世界経済を覆した! 閉塞した現代日本を抉る超大型長篇」

そのように「社会」を自らに内部化し、取り組むべき主題として内在化させ、「社会」に対するアプローチが積極的な人たちは「ひきこもり」でない、と言われるかもしれません。また、「ひきこもり」を自認する当事者の人々には、何らかの純粋または正当な意味での「ひきこもり」に該当しない人たちについては、問題を曖昧化してしまうので、自分たちに混ぜないでほしい、と考えるかたがたもいるかもしれません。そのように選択的に関わりの範囲を定義するのも社会選択の自由であり、

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2022年1月31日 18:08

その状況がもたらす集会の在り方が拡張的か縮約的かの傾向の違いはあるとしても、そのような多様な状況にあっての、対・内外の(時として互いに抗う)権利主張が発生するということが「社会」に生活するということの重要な本質の一つでもあるでしょう。

そして、(これは選択自由が本質的に持つ「恐ろしさ」でもあるのですが)「社会」の選択的な多様にあっては、互いに抗う権利主張の一つに「暴力的『ひきこもり支援』施設」の推進当事者たちの関わりが織りなすような、暴力的な「社会」も含まれるのです。

広くは「社会」の選択的な多様にあっては、日本でいうところの「反社会的勢力※」、また、こどもや大人の学校や会社・業界内等の組織にあって、いじめ・人格差別や多様な嫌がらせを含む序列化が優位であるものや、ハラスメントや暴行のある関係性であったり、行政や国家による人権侵害や人権抑圧であったり、軍事侵攻や紛争による大量虐殺であったり、その多様にあっては、多様な幅の(ケースによって他者に対する優越・越権的な力)の、組織された暴力的な社会手段の在り方の選択が(自己責任による一方の選択遂行として、他方の選択阻害として)あるのです。

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2022年1月31日 18:10

→ 日本でいうところの「反社会的勢力※」
※( https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会的勢力 「反社会的勢力」は日本独自の概念であることに注意。日本国外視点からの解説:https://sumsub.com/knowledgebase/anti-social-forces/ グローバルには「組織犯罪」https://en.wikipedia.org/wiki/Organized_crime が一般的。非日本的観点から見ると、反社会性はどのような組織にも発生しうるリスクがあり、よって一方的に社会から外部化はできない。また、個別・固有の「社会」が他の「社会」グループに対する暴力の遂行主体であることもしばしばあり、現代の価値基準から見た「人類社会に対する犯罪」が、大規模な固有「社会」である国家・民族・業界団体等により遂行されうる。どの立場や範囲の「社会」に対し「反社会」なのか、という整合性の問題があるでしょう。)


さて、外界や社会との関わりでのSelf-identification/自己概念や呼称の(選択)多様は、当然の自然権として認めるべきものとしつつ、

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2022年1月31日 21:33

社会課題としての状況の多様に対応する観点から、私としては仮に旧称「ひきこもり」より→「社会退避」(含、「ひきこもり」自認者や呼称)という表現を引き続き優先しながら、社会選択の自由の話を進めます。

先に、「社会退避」者グループが自主的に「目の前に望むべく固有社会がなければ、多様の中から関係性を選択して集会し、つながりを自らの手で形成して社会を選択的に創造・構成していく自由権利」とその実行イメージについて、思考実験的に2例ほど短く触れました。

しかし、まだここではより根本的な「社会退避」の全体的な問題構造のメカニズムであったり、さらにそれがわかった上での課題解決的な「社会選択」であったり「社会の選択的な創造や構成の遂行」の目標とする社会システムや、解決的創造のメカニズムであったり、これらについてはまだ触れていません。

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2022年1月31日 21:35

先に、スナップショット的には「社会退避」の本質が突出して現れた事例として、地政上の難民となっていることによる社会退避や、外国人技能実習生への日本国でのリンチ等による社会退避、また、一方で突出的とは限らない「心理的・メンタルヘルス的な多様」(2022年1月21日 16:26)があることについても触れています。

しかし、社会組織システム、社会経済システム的な課題としてはquantitative/数(定)量的な問題構造があっての(政治・矯正論理上の)注目の発生であり、そのような量的な状況の背景となる全体的な問題構造のメカニズムを明らかにする・明らかにし続ける必要があります。(ただし、拙速に即断せず長期的・継続的な観点と多様な視座から)

その問題構造のメカニズムが段階的に見えやすくなった上で、『社会退避の人権宣言』が有効に機能するような社会の要素として、 「課題解決的な「社会選択」であったり「社会の選択的な創造や構成の遂行」の目標とする社会システムや、解決的創造のメカニズム」 といった解決イメージも、より仮説構成しやすくなったり、シミュレーションのサイクルをしやすくなったりするわけです。

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2022年1月31日 22:00

さて、量の切り出しを定める視座にも多様があるので、いわゆる定量的な見方も、何らかの視座の目的があっての括弧付きの「客観的」認知となります。これが判断する主体が生命である限りある本源的な主観性とでもいうものでしょう。(仮に目的の設定があるとすれば「機械」も「生命的」かもしれません)

そういう意味で、私/当社が選択するquantitativeな視座も多様のうちの一つと受け取ってもらってよいかもしれません

一つは経済と就業に関係する構造:

関連
https://www.businessinsider.jp/post-188725
「ひきこもる就職氷河期世代。ひきこもり100万人時代、中心は40代。家族が苦悩する「お金問題」有馬知子氏 Apr. 09, 2019, 05:00 PM

引用〜
「内閣府の調査によると、40歳〜64歳のひきこもり当事者の推計数は、部屋から出られない人から、趣味に関する用事の時だけ外出できる人までを含めた「広義のひきこもり」で推計61万3000人。2015年度にほぼ同じ条件で出した15~39歳の推計値は54万1000人で、合わせて100万人」
(続く)