3人の大切な友達の話
少ないながらも友達がいます。100人の友達はできなかったけど、1人1人のこと、余裕で100人分以上は愛してる。
3人の、大切な友達の話をします。
3人とも、7年くらい付き合いになります。たったの7年とも言えるし、7年も変わらず、大切で大好きなままでいられることのありがたさを思うと、100人の友達なんて全然いらないんだ。
昨年父になった彼の話。
彼が父になってから初めて飲みに行けた。纏う空気や話し方、選ぶ言葉の端々から優しさが滲み出るようになっていて、お互いに抜き身のナイフのように居たあの頃と比べて本当に、しなやかに、本当の意味で強くなっていた。
彼は子供が生まれてから、お芝居と距離はとっている。でも、本を読んだり映画や舞台を観て、自分の感じ方や見方の中に、まだお芝居の日々が続いてることを実感すると、穏やかに笑いながら言った。津田の芝居を観ると、自分もお芝居をしたくなる。それって本当にいい作品だからだよね。と言ってくれた。きっと一生忘れない、大切な言葉を貰った。距離があるだけで、ずっとお芝居が自分の中にある日々は続いていくんだよね。と笑っていう彼の姿に、僕はいつも通り背中を押されて、勇気をもらって、家で少しだけ泣いた。
7年ぶりに舞台に立った彼の話。
彼はこの7年、いつもバイトを4つくらい掛け持ちしていた。色々な事情があって、とにかく日々を戦っていた。環境が整い、ようやくお芝居をできるようになり、朗読劇に出た。
舞台に立つ姿を見て、彼がこの7年、一度もお芝居と離れていなかったことが一目でわかった。彼とはとにかくよく会っている。そしてするのはやっぱり、お芝居の話で、ひいては多分、生きていくことの話。ずっと、ずっとそうだった。彼は続けてきた。お芝居を。ずっと。何に押しつぶされそうになっても、ずっとだ。
同じ名前を持つ彼の話。
深夜に呼び出されて、すごく彼がとても素晴らしい仕事を取った報告を聞いた。彼がお芝居を始めた1番最初、本当にその初日に、出会った。今ではもう声の仕事だけで食べていけているレベルの人だ。
成功している人を見ると、その人の持っている特別な何かに目を向けてしまいがちだ。でも、彼が今あそこにいるのは、単純に彼が頑張り続けてきたからだと知ってる。探求と研鑽で才能達と渡り合ってる。いつも多くを交換し合う。彼の得てきたものが、自分の中にも宿る。多くの影響を受けている。いつまでも出会った頃のようにいられる。それはこれからも続く。
離れても続く彼と、離れてる間も続いてた彼と、離れずに続いてきた彼と、立場は違えど、3人とも確かに、お芝居を考えて、その地続きにある自分を考えて、信じられる何かを追い求める日々は等しく流れていました。
じゃあ自分はどうだ?という問いかけになる。
ずっと離れずにいても、日々が続いてない人もたくさんいる。離れていないだけで。続けるだけでは不十分。確かに続けることこそが、本当の在り方なんだとしたら。
親しい友と呼んでくれる彼らに恥じない自分でいられてますか?
彼らの中にいる自分に、応えられる歩みを、できてますか?
いつもそういう問いかけが胸にあります。
背中を押してもらえるということの正体は、そういうことのような気がする。誰かの中にいる自分を、ちゃんと誇れるように歩を進めていくこと。倒れそうになったときに支えてくれるのは、誰か1人にでも、言葉や音が届いてるということへの、誇りだったりする。
僕らは色々なものが、当たり前みたいに違う。でも、違っても出会えてきたし、続いてきた。
だから今日もどこかで、大切な人達が同じように戦ってるということを、忘れません。
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