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根岸競馬記念公苑に訪れました。

ここ最近のコロナの新規感染者数の減少はすごいですね。ワクチン接種率の増加が一番影響しているのでしょうが、ワクチン接種後も継続して3密対策やマスク着用を止めない人が多いという日本人の自制心の強さも影響しているのではと思っています。
もちろん油断は禁物なのですが、いずれにせよ全国的に緊急事態宣言も解除されたので、私も久しぶりに越境して東京以外の場所に訪れました。

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横浜にある根岸競馬記念公苑も緊急事態宣言中は長らく休園が続いていましたが、10月1日から営業再開されたので、早速訪れてみました。

ここは競馬好きの人には有名だと思いますが、かつて「根岸ステークス」にも名を残す根岸競馬場が存在していた跡地で、競馬・馬関連の様々な施設が今も残っている場所です。
横浜の山手側、山を登り詰めた場所にある台地に位置しており、アクセスにはバスが便利です。桜木町駅から21・103系のバスに乗り「滝の上」停留所で降りると、目の前が根岸競馬記念公苑です。

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苑内入場後、すぐ目に入るのは「馬の博物館」。名前の通り馬をテーマにした様々な展示が行われている博物館です。馬の銅像が出迎えてくれます。

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神の賛美と書いて「シンザン」、って格好良すぎでしょ。「シンザンが消えた!」で有名な五冠馬シンザンです。

私が訪れた時は、常設展示以外に鞍上にて駆ける近代 御料馬・主馬寮(しゅめりょう)・天覧競馬という特別展示が行われていました。

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博物館内は全般的に撮影不可能なので写真もなく、あまりここでは紹介はできませんが、明治天皇をはじめとした天皇家と競馬のつながりの深さをテーマにした展示が多かったです。明治期の富国強兵の気風のなか、馬匹改良が国の重要なテーマとなっていた頃、明治天皇も積極的に乗馬を嗜み、競馬を奨励し、天覧競馬も多く執り行われたようです。

天皇と競馬のつながりといえば「天皇賞」が連想されます。その起源とされるのが1905年(明治38年)にここ根岸競馬場で実施されたエンペラーズカップ。その際に下賜されたトロフィーなども展示がされていました。
戦前だけでなく今でも天皇家と馬は密接な関係にあり、皇居内では20頭ほどのアングロアラブ馬が飼育されていて、伝統的な祭事などではいまでも馬が駆り出され重要な存在であるようです。というのも展示を通じて知ることができました。

個人的に興味深かった展示は、戦前の競馬で実際に使われていた馬券の展示。以下のサイトにも写真が掲載されていますが、当時は単勝馬券のみ、券面をまず先に購入し、投票時にレース番号と馬番号を券に打刻するという形で投票をしていたようです。馬券は当時は相当高級品で、おいそれと一般人は購入することは難しかったようです。

また、常設展示として入り口付近に展示されていた、横浜の競馬の歴史を紹介する展示も興味深かったです。
明治期の競馬は多くの政治家が馬主になっており伊藤博文や井上馨なども名前を連ねていたこと、日本での馬産が盛んになるまでは日英同盟の関係もありイギリス連邦のオーストラリアから大量に馬を輸入していたため多くの活躍馬が豪州産馬であったこと、第二次大戦中に軍事施設に転用され競馬場としての歴史は終止符をうち、戦後には米軍に接収され印刷工場になり、今でもその名残か周囲には米軍住宅が広がっていること、など、様々な歴史を知ることができます。

馬の博物館はその他に子供が楽しめるような体験展示も多数あるのですが、コロナの余波で現在はお休み中。それでも博物館にはたった「200円」で入場でき、200円とは思えないクオリティの展示がされており、かなりの満足感が得られました。
コロナの打撃もあったし、さすがにこの値段ではやっていけないだろうと、お布施的に収益性の高そうなグッズを物色してたら謎ティーシャツを見つけたので購入して帰りました。

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部首に「馬」が用いられた漢字一覧。ほとんど読めない。
デザインはおいておくとして、手に取ってみるとこのシャツもかなり上質な素材で出来てて、1500円はほぼ原価なのでは、手元に謎ティーシャツが残るだけで結局利益に貢献できてないのでは、という気持ちになりました。

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こんな立派な冊子も無料でもらってしまいました。子供でも読めるくらい平易な文章で、かつ馬についてかなり詳しく知れる冊子です。ほんとうにサービス精神が旺盛ですね。

根岸競馬記念公苑の敷地内には、もちろん馬も繁用されています。通常時であればポニー牧場で子供が体験乗馬ができたりと楽しいアトラクションが多い場所でもありますが、さすがに今の時期はお休み。もう一踏ん張り我慢して、皆の努力で諸々を落ち着かせて、また子どもたちと馬が触れ合える時間を取り戻したいものですね。

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根岸競馬場の跡地である楕円形の敷地の中、中心部はくぼんだ地形になっていますが、こちらは根岸森林公園と名前がついた芝生も色鮮やかな広い公園になっています。ここも天気の良い日は楽しそうですね。私が訪れた時もたくさんの子供連れや、米軍関係の人たちと思わしき集団を見かけました。

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あらためて、根岸競馬記念公苑/根岸森林公園の全景を地図で見てみます(根岸森林公園の公式サイトから引用)。右下が根岸競馬記念公苑。真ん中が森林公園。上側に旧一等馬見所などの競馬場時代の旧跡が残っています。

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さて、昔の根岸競馬場のコースはどこを通っていたのでしょうか。
森林公園の中には一周をぐるりと取り囲むような遊歩道があります。現地に訪れると「これかな」と思ったりもします。

ただ、昔の航空写真などを見ると、根岸競馬記念公苑/根岸森林公園を取り囲む周囲の道路が、昔のコース形状の痕跡を残している場所、のようです。
国土地理院のサイトから引用。左が1940年ころ、右が今の航空写真。)

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より正確には、今の道路よりも少し内側の部分がかつての競馬場のコースで、今でいう根岸森林公園の駐車場のあたりがコースの痕跡を感じさせる場所になっています。

そして、上記地図の左上部分、かつてのコースの一部だった箇所に今では多数の住宅や建物が立ち並んでいるのが見て取れますが、こちらがいわゆる根岸の米軍住宅地区。かつての根岸競馬場の敷地の一部と、そこからさらに北西部につながる広大な地域が、戦後から現在の長きに渡って米軍に供されているようです。この影響もあって旧一等馬見所あたりの史跡へのアクセスもだいぶ制限されています。

ただし、この地域は早期の返還に向けての基本合意がなされているようで、今も着々とその協議と、変換後の活用方針について議論はされているようです。
米軍住宅が返還されると、かつての根岸競馬場の全域にアクセス可能になり、かつての歴史の名残を今よりも感じられる場所になるのではと思います。


そして帰宅。行きはバスで来ましたが、帰りは京浜東北線(根岸線)の根岸駅まで歩いて帰りました。

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根岸駅は根岸競馬記念公苑の最寄り駅ではありますが、ストリートマップなどで見てもらうと一目瞭然ですが道のりが尋常じゃないくらい急な坂道です。根岸記念競馬公苑に行く時は、少なくとも行きについては絶対にバスで来たほうが良いと思います。

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根岸駅につくとびっくりするくらい大量のタンク貨物列車の姿があります。根岸駅の海側沿いには国内最大級の製油所があり、ここは関東地区の一大拠点になっているようです。
そのため貨物列車もひっきりなしに運行しています。私が駅のホームに訪れた時も撮り鉄的な人が複数人おり、彼らがカメラを向けた先には貨物列車(Blue Thunder)がおり、私も釣られて何故か写真を撮ってしまいました。

この製油所も、国内の石油需要の低下など様々な要因で一部施設の閉鎖が決まったようです。歴史は移り変わります。
日本の戦前戦後を支えてきた様々な痕跡、根岸近辺はそんな歴史の変遷の一端を垣間見ることができる場所、という感じですね。


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