Dancing in the dark

「踊ってるみたいに歩くね」
 とAが言った。Aは私の恋人(便宜上)だけど、彼氏彼氏と連呼するのは恥ずかしくて、また本当のことを言うとAは私に彼氏と呼ばれるのを嫌がるので仮にAとしておく。駅から家に向かう道の途中で、夜だった。私もAも別々にイヤホンをつけていた。話すことは何もなく、でも一緒に歩いていて、一応声をかければお互いの声に反応はできた。
 踊るのは好きだ。音楽が流れると体が動く。デタラメにダンスするのが好きだったから、音楽を聴いていた私はAの言う通り踊ってるみたいに歩いていたんだと思う。the1975の「Happiness」を聴いていた。Matthew Healyがあの甘い声で「君の愛をみせてよ」と歌っている。Aは私の少し後ろにいて、ラジオか何かを聞きながら大人しくついてきていた。声をかけてくれたけど、私はAの手を離していたので振り向いた時ちゃんと彼がまだそこにいてくれるかわからず不安だった。私は大体いつも不安だ。
 好きだよという言葉は軽かった。私は簡単にAにその言葉を伝えることができた。好きだよというその言葉に、全部を乗せるなんて無理な話だった。本当に伝えたいことはおそらく一生言葉にならないと察していて、どうしたら感情が逃げていくのかもわからなかった。自分で自分のことを少しおかしいんじゃないかと思っている。依存しているのに近いと思う。離れている間は大丈夫だった。仕事をしている時とか、友達に会っている時とか、そういう時はちゃんと世界を見れた。なのにAが近くにいると全部ダメだった。目はA以外を視界に入れないし、常にAだけがぼんやりと光っていた。愛しているだなんて言ったことがない。でももはや言葉では足りない。
 多分、人を殺せるだろう。Aが私ではない誰かと一緒に生きることを選んだら、私はそいつを殺せる。怖いなあとか、物騒だなあとかのんびり言ってAはちょっと困った顔をするだろうが、そんなふうにしたのはあなたじゃないかとは少し思っている。あなたが私をこんなふうにしたんだよ、と。恋、恐るべし。愛してるよとは言わないけれど、Aのことを見つめている時、確かに私の目は愛してるよと言っているんだろうと思う。自分で自分の目は見れないのでわからないが、なにかかけがえのないものを見るようにAのことをみているんだろう。でなければどうしてこんなに眩しいのか。
 Twitterで散々言っているが、Aは恋愛感情を持たない。持たないというか、わからない。恋愛の意味で誰かを好きになったことがない。だから私のこともそういう意味で好きなのではない。私たちはほぼパートナーで、一緒に生きていけるけれど、私の愛とAの愛の形は全然違う。でもそんなのはどうでもいい。Aが恋をわからなくてよかった、と思ったことがなん度もある。誰かを恋愛的に好きになる気持ちがわからない人でよかった。Aは私のこの重苦しい感情を理解することはないだろうけど、その代わり他の誰のことも恋愛的に愛さないから。誰のことも唯一にしないでほしい。私にとってAが唯一であるように、誰かのことをAが唯一にすることがないから安心していられる。これでAが普通に恋愛する男だったら、私は完全に道を踏み外すメンヘラになった自信がある。
 ひとり、踊っていた。夜中の三時だった。Aは飲み会の二次会で、先輩教師の家に行っていたから朝まで帰ってこなかった。飲み会の途中で三回も電話をくれた。そういう人間だった。恋はしていないくせに私を大事にしてくれるありえないくらいやさしい人間だ。天使かと毎日思っている。Aが「大丈夫か」と私に訊いて、「早めに寝るように」と諭す。ぐだぐだになった私が寂しいから早く帰ってきてとわがままを言っても邪険にせず、「ほんとは早く帰りたいよ」などと言う。でもAは知らない。私がAの帰らない部屋でひとり夜中に踊り狂っていることを知らない。多分、ちゃんと寝てると思っている。そんなのは無理だった。同棲して三年も経つのに、たった一日帰ってこなかったくらいで簡単におかしくなれた。緩めの曲を流しながらゆらゆらゆらゆらリビングで踊っていた。他の方法が多分なかった。本を読んでも映画を見ても文字を綴ってもどうにもならないとわかっていたから、踊った。
 どうすることもできない。病名をつけるならAの名前だろうなと思う。みんなこんなふうにおかしくなるんだろうか。私は他の人ともそれなりに恋愛をしてきたけど、誰ともこんなふうにはならなかった。寝ているうちに死なないでほしいと不安になり心音を聞きながら寝るような、そんな変な恋をしたことがない。重すぎる。重すぎるので誰にも言えず、ただ毎日、Aしかいないと思い知らされる。
 一緒に踊ってほしい。でもAは踊り方を知らないので、私がひとりで踊っている。もし彼が踊れるようになったら、他の人の手を取って踊りに行ってしまうかもしれないので、Aにはそのままでいてほしい。いや、願いでも願望でもなく、AがAであればそれでいい。私ひとりでずっと踊っている。Matthewが歌ってる。「I’m never gonna love again」。もう二度とない。多分。もう二度とこんなふうに誰かの全部を好きになれない。恋に落ちた時、私はまだ十九歳で、それが続いているからこういう狂い方ができているだけなんだと思う。ひとりで踊っていた。Aが朝になってお酒の匂いをさせて帰ってくるまで、ステップを踏んで床を飛び跳ねて、隣にAがいないんじゃ寝れない、寝れない、寝れないと思いながら、寂しくて踊っていた。
(2022.10.27)

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