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少数派として

今日は東京に打ち合わせに出かけたのだが、電車や駅でのマスク着用率はほぼ100%であった。マスクから鼻さえ出している人が珍しいほどである。日本人のまじめな国民性は、何ら強制的でないことでも、進んで従うのである。

さて、物事や出来事に関する少数派とは、1000分の1であると、だれかが言っていた。日本の総人口の千分の1とは、およそ12万6000人ということになる。私の人生の体感的に言うなら、これは正しい割合だと思っている。というのも、日本におけるクリスチャンは常に少数派であるから、少数派の機敏がよくわかるのだ。

日本のクリスチャン人口は、総人口の1%、つまり、1260万人がクリスチャンという人もいるが、それはにわかに信じがたい数字である。私の体感的クリスチャン人口は0.2%(25万人)つまり、1000人に二人ぐらいというものだ。これでも多いかなと思うくらいである。

そして、今回のような「OOO禍」なる出来事があって、大制翼賛的メディア報道を信じないで、自分で物事を追求するような人間は、先ほどの、少数派の定義からすれば、クリスチャンでメディア報道を鵜呑みにしない人が、たったの252人!!ということになる。これは、体感的にはかなり正しいと私は思う。(もちろん、この数字に科学的根拠はありませんが)

さて、私が何が言いたいのかというと、この国で少数派であるというのは、辛いことであるが、それは意味があるということである。もしも、全国民が等しくメディア広報を信じて行動しているのなら、それは、まさしく「全体主義」国家の姿である。それは、隣の隣の国と同じである。

私たちは、自由主義陣営にいて、基本的人権やら、主権在民を教えられてきたけれども、実際の社会の姿は、営利メディアによって右にも左にも動かされるという「羊の群れ」となっていることに気が付くべきだ。

聖書は、イエス・キリストが良い羊飼いであると述べている。しかし、その逆に悪い羊飼いも当然いるわけで、それが、今の社会の病理の根源に位置しているのだ。悪い羊飼いが導くのは、劣悪な環境と果てしない労苦である。そこには希望が生まれることはなく、奴隷のように、鞭うたれて生きるしかないのだ。

だからこそ、今の世界は、本物の「良い羊飼い」に回帰する必要がある。あなたは、どんな羊飼いに導かれているのだろうか?ぜひ、ご一考を願いたいところである。

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わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。(ヨハネによる福音書10章27節-イエスの言葉)

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