何を信頼(信仰)しているのか?
今、この世界は分断されている。
どんな事象を見ても、プロとコンつまり、賛成と反対に分かれる。
そんな社会を俯瞰的に見てみると、以下のことに気が付く。
それは、人々が何に信頼(信仰)しているかである。
たとえば、現代の科学技術を心底「信頼し、信仰している」ならば、原子力発電には賛成のはずである。つまり、原発をどんどん建設して、火力発電をやめてゆけば、夢のようなエネルギー供給が出来るという思想になる。
もちろん、2011年以降、そのような人はかなり減ったと思うが、今でも「原発賛成派」はいるに違いない。
さてそれを、「現代遺伝子工学に基づく先端医療」にしてみよう。もし、この技術に100%賛成の思想であるなら、「遺伝子解析に基づくmRNAを体内に打ち込めば、どんな難病も治る可能性がある。これこそ、近未来の医療の希望である。」と考える人も多い。
人間は、何に「信頼し、信仰しているか」によって、思想が異なり、発言が変わるのである。しかし、この「信頼と信仰」に基づく思想と発言は、その対象が崩れた時に、一挙に崩壊するのだ。
果たして原子力安全神話は今も有効か?
もし、有効でないと言うなら、それが崩れ去った原因は何か?と考えなければならない。
さらに、今、主流派が「信頼し、信仰している」科学、医学、技術、工学、思想、方法論が、本当に、未来永劫変わらぬ有効性があるのかを問わなければならない。
私は、現代の最先端の技術、科学、そして医学をも疑いの目をもって見る。
なぜなら、人間が信頼しているものは、決して盤石のものではなく、むしろ、自らを傷つける要素に満ちているのは、歴史をちょっとでも振り返れば明らかなことだからだ。それは、ノーベル賞がダイナマイトの発明者の遺言で始まったように!
今、インターネットが最も重要なインフラとなり、過去のどの時代よりも、指数関数的に物事の進歩のスピードが速くなっていることは客観的事実である。それはまるでバブル経済のときの株価上昇曲線のようである。
しかし、崩壊しないバブル株価チャートは今まで存在しただろうか?
永遠に伸長する限界点のない指数関数的曲線は存在するだろうか?
科学も医学も技術も、未来、永遠に無限に進歩するのだろうか?
エジプトのピラミッドは、レーザー機器で測ったように、正確に建築されていたと言う。しかし、その技術は継承されることなく失われている。それは、人間の「進歩」が、突然の崩壊を迎えることを示唆している。
今も、毎日のように発展する科学や医学や技術に100%信頼し、信仰し、忖度しても良いのか?それは、安全な道なのか?それとも、限界点を目前に控える、破裂寸前の風船なのか?
私はそれは自明であり、明々白々であると考える。
高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。 (箴言16:18)
この言葉は、聖書という古の書からの現代文明への警鐘である。
汝、誇るなかれ!
ゆえに、私は、現代文明の何事にも忖度せず歩むべしと、心に刻むのである。真に哀れなるは、現代文明の狡猾なる宣伝文言に踊らされることである。
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