陰謀論でもお花畑でもない生き方
また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。【ヨハネの第一の手紙 5:19 JA1955】
これは、1955年改訳の新約聖書(口語訳)の言葉です。
私が「全世界」を理解するときの根拠はこの言葉にあります。つまり、今の目に見える世界、国家群というのは、すべからく「悪しき者」の支配下にあると、聖書では、すでに2000年前から指摘されているのです。
ゆえに、世界の王(王家や国家の閣僚)というものは、どんなに崇高な考えを持っていたにしても、政治、経済の現場では、この「悪しき者」の支配下での活動しかできないわけです。
もちろん、歴史の中で「素晴らしい理想を語った指導者」は、数多くいたでしょうが、全世界を平和にできるほどの人間はいませんでした。もしいるなら、それこそ「反キリスト」でしょう。
この視点で、世界を見るなら、あなたが、政治や経済における、様々な「陰謀」を明らかにして、だれか特定の人の悪行を暴こうとする「意識の高い人々」であっても、それは、もぐら叩きの穴の一つを見出したにすぎません。悪人は「悪しき者=サタン」の使用人に過ぎませんし、人の悪行は、きりがないということです。
一方、この世界の「陰謀論」は、すべてデマであり、「陰謀」などないと考える、「お花畑の人々」たちは、「悪しき者」の支配下にある政府プログラムの下で、従順に抹殺されてゆくわけです。
では、この「悪しき者」に対抗できる生き方があるのでしょうか?
それが、「生ける、神の御子、キリスト・イエスの福音」で生きるという生き方です。
「ああ、それはまた、偽りの宗教の洗脳・プロパガンダだ」という、反論もあるでしょう。
しかし、聖書は、それを読む人々を、パラノイア的「陰謀論者」に仕立て上げるものでもく、逆に、すべて無批判の「お花畑の家畜」にするものでもありません。聖書は、「悪しき者=サタン」の意図も、この世の悪も、人々の善意もすべて示した上で、絶対的な愛と力がある「神」の言葉として、人々に届けられるものです。
もし、聖書という「神の御言葉」によって生き、政治家や宗教家の不完全な人間の文言に惑わされずに、しかし、自分は不完全な人間として、神の前で悔い改めながら生きる時、これからの世界の悪しき「陰謀」から守られ、この悪い世界に対して、「無批判」という日和見主義にも陥らず、天という「上を見上げる」生き方を全うできるでしょう。
今、私はイエスのこの言葉に立ち返ることが必要だと考えています。
「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4:17)
真の悔い改めこそが、創造主である神の前で、私たちを健全に守るのですから。
(2023年9月12日記す)
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