トマス・クランマーの生涯 はじめに(3)
はじめに(2)からの続き
その友人たちはこのようなクランマーの隠された素性を暴露することはなく、クランマーの私的の顔はほとんどわからないままである。彼の公私の区別を示す例としてあげられるのは、300通以上残っている彼の手紙の中で、教会での自らのキャリアを危険に晒すことになった2番目の妻と子供に関してただ一度だけ言及されているものだけである。この沈黙は、エドワード6世の時代に彼が自分の家族を誇りとし、喜びとして公然と示した時でさえも貫かれている。ただ一度だけ言及されたその一節は、マルティン・ブーツァーに宛てた手紙の中に書かれている。ブーツァーはクランマーと同じく既婚の神学者であり、クランマーの思想において中心的な役割を果たすようになった‘隠された特別な友人’の一人に数えらえるかもしれない。クランマーの手紙は、生涯のライバルであったステファン・ガーディナーの奔放でありながらも煌びやかな言葉の流れに比べると、抑制が効いていて慎重であり、ジョークもほとんど含まれていない。現存するクランマーの膨大な蔵書(明らかに彼の学究的な情熱の一つ)の余白には、しばしば彼の覚え書で埋め尽くされている。しかし、これから探究するいくつかの例外を除いて、これらの覚え書は彼の研究のために精巧に分類され保管された記録文書の一部であるが、最も鋭い目を持つ研究者の下での調査を除いては、その見解を表明することを慎重に避けている。したがって、このクランマーの生涯の物語は、公人としてのクランマーの物語となる。それゆえに読者はしばしば、議会や評議会での決定や出来事においては、受け身的な傍観者としてのクランマーが語られているように感じるだろう。多くの場合、それはおそらく現実を反映している。
【続く】
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