サニトラに魅せられた大学生 サーキットに行く編

 出会い編の続編になります。ここではなぜ僕がサーキットに行くようになったのか?を書いていきます。ちょっと長くなるかも。。。

 サニトラが納車されてから、バイトで稼いだお金を使って、サニトラはノーマルの状態から、少し姿を変えた。ホイール、マフラー、ステアリング… ↓

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 (純正足に14インチってめちゃ車高高い…)

 家の近所で二人のサニトラオーナーと知り合った。個人でバイク屋を営む方と「出会い編」で中学の頃に見たツートンサニトラのオーナーの方。まさかこんなに近くに居て知り合うことになるとは思いもよらなかった。

 そんな中、当時所属していた大学自動車部の合宿で茂原サーキットに行くことになった。

 人生初、自分で走るためにサーキットに行った。最初はすごく緊張していたけれど、いざコースに出てみれば汗だくになりながら夢中でサニトラに鞭を打った。 ちなみに自分のサニトラにはクーラーがついていない。

 実際にサーキットを走るとゲームや外から見ているだけでは絶対にわからないものが見えた。

体の中に電流が走るような感覚っていうのは本当にあるんだなぁ と感じた瞬間でもあった。

 そして何よりも楽しい。全身からアドレナリンが出る。サニトラの重量は約730kg 今の軽自動車と遜色ない重量の上にFR(前にエンジンがあり、後ろのタイヤにエンジンの動力を伝える方式のこと) ということも相成って、楽しいと感じるのは当たり前だったと今は思う。 

 人生で二回目のサーキットは白糸スピードランド(静岡県)だった。ツートンサニトラのオーナーに誘われるがまま、FR時代のサニーでサーキットを走る大先輩たちの中で走った。楽しむこと以外にも、サニー系のチューニングや走らせ方の奥深さを学ぶことができる機会に恵まれた。

 そして3回目。2019年の春、茨城の山奥にある小さなサーキットに合宿で行った。そこでクラッシュ。足が曲がり、フレームまでにダメージ。人間もめっちゃ凹んだ。その日の宿はお通夜モードだったことを今でも覚えている。

 でも3日後には走れる状態になった。近所のサニトラ先輩のおかげだった。 板金屋も紹介してもらって、見た目はだいたい元の姿に戻った。

 そこから自分の中で、サニトラに乗り続けて乗りつぶしてやろうという気持ちが芽生えてきた。

 SNSを通じてサニトラ仲間が増えはじめた時期でもあった。ピカピカにしてホッドロッドショーやスタンスネーションなんかにも出るサニトラや走り屋仕様のサニトラ。オーナーの分身とも言えるような車ばかりだった。 半年後に首都高で事故った時、修理を手伝ってくれたのもつながったサニトラ仲間のみんなだった。

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↑幾度かの事故を経て復活した時。壁ができる前の辰巳PA

 それからは、知り合いの大学が主催する走行会やSNSで告知された走行会に参加した。

茂原サーキット、本庄サーキット、筑波1000 エビス西、富士本コース、スポラン山梨などなど…

 足回りのセッティングだったり、Sタイヤを投入して初めて走った時より飛躍的にタイムを縮めた。コーナーが続くセクションでは現行車より速い時もある。 そういったことに楽しみを覚え、深みにハマっていった…


続くかも?


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