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論理思考について

論理思考については、大勢を動かすときになぜしないといけないか、失敗した場合どう反省するかをチェックするときに大切だが、実際難しい問題に当たった場合、それが難しくなる。

例えば、数億行のコードで問題が起きた場合に、現象から論理的に追かけていってもわからない場合がある。逆に論理的に狭めてから問題を追いかけてしまうと、思い込みが強くなり、問題原因を見つけるのに遠回りをしてしまう場合がある。

また、深層学習や相対性理論のような何回なものを分かりやすく論理的に説明するのは、困難を極める。

論理思考とはつまり演繹法であり、演繹法で解ける問題というのは限られる。数学でいうと、帰納法や背理法が必要となる。

特に、エンジニアリングの証明はされてないがなぜかうまくいく事象を積み重ねて他に先駆けて実現させていく場合は、そうだろう。有名なところでは、エジソンの竹をつかったフィラメントや、飛行機のライト兄弟、深層学習がなぜうまくいくかも、深層学習ができて暫くしてから証明がされている。

しかし、一方、企業では、論理的な説明ができることが一つの評価になっているため、簡単なことをして論理的な説明ができる人と、難しいことをして論理的な説明ができる人では、前者が評価される。

結果、簡単なことしかできない人たちが意思決定権をもつことになり、過去の遺産を食いつぶすだけの企業に成り下がってしまう。大企業の衰退の流れとして、一つこのようなことも要因なのだと思う。

とはいえ、企業としても全体として最適化を行っていかないといけないため、分かりやすく、腹落ちのする、論理的な説明が必要なことは理解できる。それがなければ、皆が、どう行動すればわからないため、効果的な対策が打てない。例えば、物が壊れた時に、その原因が分かりやすくなければ、お客様にどう説明すればいいかもわからないし、お客様もどうしたらいいかわからない。最近の例では、みずほのシステムトラブルなんかがそうだと思う。皆が、原因を把握できていないため、同じ失敗を繰り返してしまう。

では、全体が内容を把握するのと、他社に先駆けて困難なことを成し遂げることを両立するにはどうしたらいいか。

ひとつは、全体の底上げを行う。GAFAのようにエリートだけにするか、困難なことをしながらもそれを誰にでもわかりやすく説明できる超人をやとうか。どちらも簡単には行えない、現実的には、困難なことをするひとと、分かりやすく説明する人の間に、困難なことを解釈して説明化をする層をつくるのがいいのではないだろうか。これは、これで、意思決定が遅くなる危険性があるが、これが一番よくとられる方法ではないだろうか。


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