何故赤ちゃんがママと呼ぶだけで感動するのか、まだ1歳の娘に呼ばれたことの無い身で考えてみた。

「めんめんめん」又は「まんまんま(エンドレス)」
「My まんま」
「めぇめ」
「Mannnnm」

最近のムスメはなにやらエムの発音にご執心である。

私に向かって一生懸命に、さも何かを伝えたそうに意味ありげに連呼してくる一方で
まるでママという官位には相応しくないパパという生き物に向かって「まんまんま」と言い放つこともあるので、
言葉の意味というものは本人が言霊を込める以上に、受け取る側の解釈によって都合よく受け取れてしまうもので
まぁつまり、まだママとは呼ばれたことがない。のです。

それにしたって外国語でも、Mam、媽媽、と
母親を呼ぶ音韻が、言語習得の再初期段階でいちばん連呼されるというのは不思議なものである。
ん?日本人の場合はかかさまとかだよな?ままでは無いよな?と不思議ではあるのだけど、日本語は別側面から攻めているのか「まんま」=「ごはん」という認識があって、
どっちにしても、無垢な存在として生まれた赤ん坊がまず他人に求めるものが
庇護してくれる大人なのか、庇護者から与えられる食事なのか、というだけで
不可欠なものには変わりないので、やっぱりまんまという言葉は大切なのだろう。

と、なんぞそれっぽいことを言ってみたけれども
単純に考えれば赤ちゃんたちはただエムの発音を最初期に習得しがちという傾向が先にあって、
それを大人たちが勝手に
「私を呼んでいるのね!」
「ごはんのことを言っているのね!」
と、意味のほうを当て嵌めただけなんだろうなぁ。
なんてことも思ったりする。


何の話だっけ。

タイトル読み返してきました。
そうそう、そうね、なんで感動するのかっていう。

というのも自分が子供産むまで「ママ」と呼ばれて感動する親という絵図に、あまりピンと来ていなかった。

これも頻出表現ですが、「自分の子供がこんなに可愛いとは思わなかった」というのも全くピンときてなくって、
まさかまさか産んでみたあとに
心の底から湧き上がるように

「それな!!!!!!」

と思う日が来ようとは。ああ私人間だったんだわと実感したものです。

ほんとに、産んだ後と前とでは、世界が変わった気がします。これもよく使われてる表現。語彙が貧弱。

でまた話が戻るわけですが、戻る前にもっかい産んだ時に戻るんですが。

産まれたばかりの赤さんが無垢で汚れなき存在でまっさらな状態なことは皆さんご存知のことと思います。
逆に私たち大人という存在って、絶対無垢で汚れなき存在でまっさらな状態ではないんですよね。(突然の暴言をお許しください)

必ずどこかに垢がついてて、うっすら社会や人波に揉まれて汚れてて、何かしらをインプットしまくってる生きもの、
それが私たちですよね。

で、私たちはどうやってそんなふうになったかって、毎日毎日日々を重ねて重ねて重ねまくって何百日何千日何万日、何億秒何兆秒、
色んな経験を重ねて、何十ウン歳になっているわけですよね。

私、子供産まれてからびっくりしたんですが
赤ちゃんって「生後1日」とか当たり前に言うんですよ。

この世に生まれて、一日目ですって。

だから役所の人は知らないんです、
書類上には存在しない生き物が今現在いるってことを。
役所の人が知らないすなわち県が国が、この子の存在をまだ認知してないんですよね。
それをどうやってお知らせするかって、
産まれてから1週間以内にパパが「うまれたよ、この子の名前はこれにするよ」って書類を書いて、
のこのこ役所に足を運んで、届け出て、
「あ、このおうちは夫婦2人だと思ってたけどこれからは3人家族なんですね!〇〇ちゃんね!はいOK」
そうやって戸籍にこの子の枠がポコンと作られて、
「わーおめでとー出産一時金のお手続きこちらー」「なんちゃらかんちゃらの手続きこちらー」「子ども手当の手続きこちらー」とドサドサ書類渡されて、パパさんたちは皆はわわ!ってなっていることでしょう。(ママは産後で病院にいることが多い)

戸籍って凄いですよね。ほとんどの日本在住の人が
(色んな事情で戸籍がない人もいるってテレビで言っててほんとに深刻な理由で届け出られない人もいるんだなって自分の無知さを割と反省したりしました、閑話休題)
そうやって子供産まれたらせっせと紙書いて足を運んで届け出て、その作業を何十年何百?年も前からたくさんの人が繰り返して繰り返して、だから今の私たちがじーちゃんのとーちゃんのそのまたとーちゃんの名前ってなんなん?って突発的に思って調べたくなっても、ちゃんと分かるんですから。(どうなんでしょうか)

えーと?何の話だっけ?

あ、生後1日のこと。
役所の話全部が閑話でした。
つい命の繋がりに想いを馳せてしまった。(かっこいいせりふ)

生後1日ですよ、生まれてまだ1日です。
私たちはカウントが15379とかになってるのに
この子は00001なんですよ。
(ちょっと算数できないのでニュアンスだけ受け取ってください 実際我々って万いくのかな?)
(バカなりに計算してみましたが1年365日で10年で3650日で20年で7300日で40年で14600年なのでとりあえずまぁ一般的な人間の日数ではあったようだ 適当に打ったけど意外といけるもんだなぁ)

で、母乳飲ませたり寝たり起きたり泣いたりうんちしたりうんち緑でびっくりしたり、という一日を終えて夜泣きしながら日付を超えたらどうなると思います?

生後2日になるんですよ。。

まじで?って思いません?こんな沢山大変な思いしたのに、まだこの子生後2日なんですよ。
ゲームだったらレベルは4くらい上がっててもいいじゃんって思うくらいには、大変なんですよ。
でも生後2日なんですよ。

ってひいひいいいながら、
泣いたり笑ったり成長したりうんちしたり病気したり予防注射したり夜泣きしたり
保育園の話聞いたり習い事に思いを馳せてみたり寝返りしたりつかまり立ちしたりハイハイしたりたっちしたり笑顔になったり変顔になったりそんなんを笑ったり、
なんやかんやして気がついたら1歳になってるんです。

そこでやっとカウント00365なんですよね。

でですね、でですね、
この人たち生後カウント00001の時って、コマンド「泣く」しかできないんですよ。
泣き方も全部一緒。
本人には

不快

のぼんやりした2択しかないのでそういう表現しかできないんですけど、それはまあいいとして、
思ったより全然、笑わないんですよ。

笑ってくんないんですよ。(悲哀)

パパだよママだよーって言ってニコって笑ってくれるの、多分生後カウント00090くらいまで頑張らないと無いイベントんですよ。
個人差ありますけど少なくともカウント00030くらいまでは起きない。
起きたらそれはホントただの偶然です。でもその偶然が、偶然でもクッッッソ嬉しいのが親ってやつなんですゥゥッッッッ(体験した張本人)(偶然だっつうの)

そのコマンド「泣く」の他に、快の表現の最たるもの「笑う」が加わって、
その後だんだん「怒る」「いやだ」「やりたい」「怖い」「恥ずかしい」などのバリエーション豊かな表象が、
顔に、動きに、色んなところに見られ始めて、親の方にもはっきりと「ああ!人間らしくなってきたなぁ」って伝わってきて、しみじみ感動するのが、大体00365の頃だと思うんです。

まだ言語習得してなくても、人間らしくなっちゃうんですよ。
決して笑いかけてはくれないなにもかも生きる術を他人任せにしている宇宙人のような生きものが
こっちを見て笑って、遊ぶと声を出して笑って、親がいなくなると泣いて追っかけてくるくらい、「こども」になるんです。

ほんと00365のカウントって、長かったなぁ。(しみじみ)

そんな長いようで短い、
自分の生きた日にち、分の、365日
を積み重ねてきて、
こどもが「まんまんまんま」と言っているんですよ。

言語って、口の発声と、本人の主張したい意図のふたつが、本人の脳内で一致して、はじめて便利さを発揮すると思うんです。

でもまだ今のまんまんまーは「発声」と「意図」が繋がってないので、
ただの口から出る音と、なんとなくこっち向いてくれるんじゃないかな〜とかの、ぼんやりした意図があるだけ。

それが、発声と意図が繋がって、脳内でシナプスがびびーん!ってなって、
この声でママ振り向かせたろ!って思って、本人は試行するんですよね。
そんな脳内の状態を知らないママは、もしかしたら何回かスルーしちゃうのかもしれないけど。
その発声が「ママこっち見て」という意図を持つことに気づいたらですよ。

カウント00001のときは快か不快かしかなかったのに
身振りと表情で笑ったり怒ったり泣いたり嫌がったり怖がったり喜んだりしていたのに
そんな日々の感情の中に、
「ママを呼びたい!」
「ママに振り向いてもらいたい!」
「ねえママ!」
「ママこっちみて!」
「おーーーい!」
という気持ちを、表現したくてもできなうて、こっちを見てもらえなくて、
でも何度も何度も試してたらやっと成功したんだぜ!って
笑ってるところを見たら、

たぶん泣くんだろうな

って思いながらもはや泣いてるんですよね。

そしてこの長文が出来上がりました。

はい。

おわりっす


毎日毎日ついに来るか?この時が!
と、身構えながら生きてますが、
まんまと、まんまんまーと言い出してから多分1ヶ月以上は経過してるんで
これもしかしたらママとは別の言葉初めに喋りだす可能性あるなと思ってます。

なんだろ…よく言った時にバッてこっちを見るのは
「うわっ」かな…
「まじか!」もな…
主に君が言わせてるんだぜ…


あとちょっと自分に戒めておきたいのは
現実は割と地味っていう言葉なので
こんな感動的な「はじめてのママ」体験はできないと思うんだよなぁ。

まぁ夢は見ててもいいよ。(自分へ)

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