騒音問題とは何と何の対立なのか


 騒音問題は日常社会生活の様々な場面で発生しています。住宅、公共施設、工場、道路、飛行機etc.数え出したらきりがありません。

 私はSNSを通して様々な騒音被害者の人たちと意見や情報を交換してきました。騒音被害者と言っても常に同じ方向を向いているはけではなく時には対立することもありました。そこで何が原因なのか悩み考えました。

 たどり着いた解法の1つが「何と何の対立なのか」という視点で騒音問題を類型化することでした。

人(不正)と人との間の騒音

 「迷惑な騒音」と「その被害を受ける人」という関係で起こる騒音です。この場合は騒音を出す人に迷惑な行為の責任があり改善すべき人となります。

 例えば、集合住宅の上からの音。限度を超えた音は騒音となり下の住人は一方的に被害を受けます。近年になってマスコミに取り上げられるようになった道路族も同じです。他人の住宅の前で騒音を出すことは迷惑な行為です。家の前で騒ぐ人に問題があり、家の前で騒がれる人はただの被害者です。

 お互い様、という考え方はここでは置いておきます。また別の機会にお話できたらと思います。

行政(失敗)と人との間の騒音


 騒音を出すことが致し方ない場合や社会的に許されている場面というのがあります。この場合騒音を出している人に責任を負わせるのが不相応な場合があります。許されているのに何故騒音を出してはいけないの?ということです。しかし、現実問題としてその騒音によって被害者は出てしまいます。

 とても分かりにくいので2つ類型を挙げます。

道路・工場からの騒音

 道路と工場どちらも社会には不可欠な存在です。どちらも完全になくすことは出来ません。そこで法律によって規制されています。広い道路の脇に防音壁が建っているのを見たことのある人は多いと思います。あれはその法の要請によって存在しているのです。

 しかし、どちらも完全にシャットアウト出来ているわけではなく現実に騒音に苦しんでいる人は多いと思います。それが放置されている状況で悪いのは誰でしょうか?私は行政だと思います。法に則って改善していくべきです。

公園・教育機関からの騒音

 恐らくこれが一番世間から理解されていない騒音です。どちらも社会には不可欠な存在であることは疑いないです。そして、”子どもが”絡んで来くることが多いため「子供の声に苦情を言うなんて」という批判が騒音被害者に集中してしまいます。

 私は責められるべきは騒音被害者ではなく行政だと考えています。これらには明確な法の規制がありません。公共のものであれば責任は自治体がが負い、私営であれば私人が責任を負うのが基本ですが、法律上何の責任もなければ改善の責任はありません。

 この点、噴水騒音訴訟で無制限にやりたい放題して良いわけではない旨の判決がありますが、現実問題としてこの類型の騒音問題は依然として残ったままです。

 私はこの類型を行政が悪いと考えています。なぜなら、周辺に配慮した施設の構造・街づくりである程度は解消できるはずだと思うからです。

 海外ドラマなどで保護者が子どもを学校へ連れて行くシーンを観たことのある人は多いと思います。海外では子供の声等を騒音と認めた上で解消できる街づくりをしているからです。もちろん全てがそうなっているわけではありませんが、そういう考え方をして計画的に整理された街が作れているところもあるということです。

最後に

 騒音被害者での対立についてをテーマに、ここまで騒音には色んな原因があることをみてきました。そして一つの共通点を発見して、その点で騒音被害者みんなそして騒音被害者以外のみんなも繋がれるのではないかと思いました。誰が騒音を解消できるのか?
 言うまでもなく大人です。問題を解決する能力のあるは大人、問題を発生させない能力のあるのも大人です。長々と語ってきてそんな当たり前でつまらないことなのかとがっかりされかもしれませんが、騒音主も騒音被害者もみんながその意識を持って解決に当たって貰いたいと思っています。

ここまで読んで頂きありがとうございました。


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