天国と地獄のENHYPEN [赤へ向かうMANIFESTO]
レミインの話を書き終え、「ちょっと休もう」と思ったら一年経っていた。ドーシマショ
当時MANIFESTOツアーを終えたばかりだったENHYPENは、その後10カ月ぶりにミニアルバム『DARK BLOOD』をリリース。2度目のワールドツアーFATEで各地を回りながら、日本3rdシングル『結-YOU-』、そして5thミニ『ORANGE BLOOD』…とそれはそれは精力的に活動を展開してきた。
とっても濃い2023年だった。
実は今回『DARK BLOOD』と『ORANGE BLOOD』の話をしたくて画面を立ち上げたのだ。でもいざ書き始めてみると、どうしてもMANIFESTOの話を避けて通れない。
悩んだ挙句、MANIFESTOとFATE、ふたつのワルツを通して「これまでのあらすじ」を振り返るところから始めることにした。両ツアーは地続きで、彼らのアルバムストーリーを丁寧になぞる構成になっているからだ。
しかも都合のいいことに、それらを読み取るのに一年前のレミイン三部作が良きガイドとなってくれる。
あの苦労は無駄じゃなかったw
まだの方は一度覗いてみてくださいね。
(※本記事は個人的な解釈を含みます)
アルバムストーリーとは
ENHYPENはデビュー作からの全アルバムを通して、少年の心の成長物語を綴っている。
彼らを紹介する記事では最近これをアルバムストーリーとかENHYPEN叙事、基本叙事などと表現しているので、私もそう呼ぶことにした。
ENHYPENユニバースの中心にあるのはこのアルバムストーリーだ。主人公の少年たちは成長の過程で混乱、葛藤、反抗、後悔…といった誰しも覚えがあるものを経験しながら、同世代の代弁者となり、また今を生きる人々に向けた普遍的なメッセージを発信している。
アルバムストーリーは基本的にフィクションで、主人公の「少年」はすべての若者の投影なんだろう。だが状況に応じてENHYPEN自身の経験や感情をリンクさせているために程よいリアリティと説得力を持っている。
重要なのは、このストーリーの裏には光と影、善と悪、理性と欲望、ファンタジーとリアル…といった対立しあう世界を統合しながら自己確立を目指す流れがあるということ。
それはまさしくI-LANDの冒頭で引用されたヘッセの『デミアン』そのまんまの物語なんである。
ENHYPENの作品ではその“対立する二つの価値観”を赤・青のニ色に可視化してジレンマを表現することが多く、そこに注目するとストーリーの解像度が変わってくる。
そしてそれはコンサートの演出に関しても同じことが言えそうだった。
というわけで、まずは2022年のMANIFESTOツアーまで遡ってみたい。
赤へ向かうMANIFESTO
《Opening VCR》
モノクロの画面にメンバーの名、続いてビジュアルが次々と映し出される。それぞれに与えられた鏡(実像と虚像)、仮面(ペルソナ)、2人の自分、光と影…といったモチーフは、MANIFESTOに至るまでの「本当の自分とは?」という隠れた主題を仄めかしているようだ。
ジェイは猛禽類とセットにされがち。『デミアン』において鷹は成長しようとする少年の本能を象徴するが、彼はそのイメージにぴったりだ。ジェイクの操る火は生や命そのものを表しているように感じる。
ここで見覚えのあるケーキ登場。’Drunk-Dazed’ のMVが思い起こされるが、あの時キャンドルは6本、ここでは3本だ。
MANIFESTOツアーの始動はENHYPEN結成(2020年9月18日)からぴったり2年後の9月17・18日……数え年でカウントしてるのかなw
あるいは、I-LANDが放送された3ヶ月間を示すのかもしれない。この後の展開がENHYPENの誕生をイメージさせるから。
彼らの頭上に青い月が姿を現し、モノクロだった世界に美しい色がつく。だが、とたんに意識が遠のきかけ鼻血を流すジョンウォン。
青い光は彼らにどんな作用を及ぼすというのか。
Section 01
MANIFESTOは青い世界にENHYPENが生まれるところから始まる。壮大でありながら、どこかレミインのガラスケースに入った青イプニも彷彿とさせる登場シーンだ。
広い大地を駆け抜ける限りなく長い線
僕らはその線に沿って歩く
世界が僕らをそこに刻んだのだから
── Intro:Walk the Line
続いて、忘れもしない“あの塔”を背景にデビュー曲‘Given-Taken’を披露。
最初のセクションはENHYPENのアポロン的な面を象徴するこの2曲を皮切りに、正統派アイドルソング中心の構成。新しい世界への憧れや戸惑いも歌いあげた。
《VCR②》
さて、ここからがアルバムストーリーの映像化ともいうべきVCRの始まりだ。
最初に現れる絵は、これから彼らの歩む道のりが天国と地獄、生と死、あるいは青と赤(善と悪)を行き来するものであることを暗示している。
青一色の幻想的な世界(天国)で夢うつつな表情の青イプニ。レミインの時に見た半寝状態の宇宙イプニと同じ状態だ。自我が目覚めておらず無垢なまま、まだ何者にもなっていない者(nemo=ニモ)たちである。
招かれるままパーティーを訪れ、青い花と青い飲み物にうっとりする彼ら。だが時計の針は止まっており、よく見るとテーブルの中央にはぽつんと毒々しい赤い花が……
やがて手にした飲み物は血の色に染まり、世界は赤く変色。少年たちが酩酊する中、ヒスンはテーブルの上に立ち上がって前を見据える。
個人的には、この行為を「視点を変えて真実を見る」というような意味合いにとらえている。
Section 02
さてMANIFESTOツアーでとくに話題となった第2セクション。先ほどまでの貴公子&爽やか少年スタイルと打って変わり、イプニたちはセクシーなバーガンディのシルクシャツで現れた。
ここでは先ほどのアポロン的世界観に対してディオニソス的な世界観が展開される。
アポロン的(秩序・調和・理性)、ディオニソス的(陶酔・混沌・本能)というのはニーチェが唱えた美学上の対立概念で、究極の芸術は両方が揃ってこそ完成するという。BORDER期のDAY ONEとCARNIVALはちょうどそんな関係にあるように思う。‘Drunk-Dazed’はまさにディオニソス的な歌だが、続くワンビリのテーブルパフォーマンスが否応なしにBTSの‘Dionysus’を連想させ、さらにその印象を強くした。
(気が向いたらBTSのリンク行ってみてください🐍 見覚えあるものがどっさり出てきますw)
‘Drunk-Dazed’は血(レッドピル)の摂取によって本当の自分に目覚める曲だと思っている。それまでの秩序が崩壊し、何も知らなかった少年は自分の中に潜む欲望に気づく。
従うべきは理性なのか、それとも本能なのか。
《VCR③》
世界は赤く染まった。だがジレンマの角、天秤、振り子が示すように少年たちはまだ迷っている。顎に指を当てて思案するジョンウォン、テーブルに指をトントンと突きながら悪魔のカードを取るか迷うヒスン。
ついに悪魔のカードを選び取ると、止まっていた時計の針は動き始める。ヴェールが剥がれ、鏡(虚像)は割れて、徐々に目覚めていく少年たち。
ソヌは自らを傷つけ血を滴らせる。
覚醒の引き金はいつも「血」なんだけど、もうレッドピルの儀式とでも名付けようかw
成長にともなう痛みの暗喩だろか。
全員の目に意思が宿る。再び見返した招待状には「それは祝福でしたか?本当のあなたは何者?」の文字が浮かび上がり、はっとしたように周囲を見回すジョンウォン。
そうだ、ここは偽物の天国だったのだ。
そう気づいた彼らははっきりと信念を持って、天国と信じていた場所から出ていく。
以前も触れたが、レッドピルとブルーピルのジレンマは1999年の映画『The Matrix』から生まれた概念だ。仮想現実(偽物の世界)を表す緑色のプログラミング文字は同映画を象徴するビジュアル。
そうして始まるのが、まさに仮想空間から抜け出して現実にFade inする歌‘Blessed-Cursed‘というわけである。
Section 03
自我が芽生え、大人たちに反旗を翻して自分の道を突き進み始めるのがこの第3セクションだ。かつての「線の上を歩く」自分は否定され「線を描く」自分へと生まれ変わる。
そして‘Future Perfect’で「僕が先に進むから一緒に行こう」と革命家のごとく同世代に呼びかけながら、MANIFESTOのコンサートは一旦幕を下ろすのである。
《VCR④》
少年たちは四角の中で目を覚ます。
今度の彼らは宮廷服などではなく、現実の自分に適合した服を着ている。
暗闇の中に伸びる線は「偽りの狭間」から差し込む光だ。天国の外はもしかしたら地獄かもしれない。だが彼らは自分の心に従って「現実」へと歩き出す──。
四角は韓国語で네모(nemo/ニモ)というそうだ。
レミインの歌詞にも出てきたnemoはラテン語で「誰でもない者」を意味し、うちのnoteでは自我が芽生える前の少年(青イプニの状態)をそう呼んだりしている。
そのnemoと네모をかけているんだろう。
つまりこの四角は、大人に用意された箱の中(抑制された世界、偽りの天国)を意味するわけだ。
HYBEグルはよく四角の中に入れられるが、必ずそこから出ていく。「誰でもない者」から「自分という誰か」になるために。
だが「まだ誰でもない」ことは逆説的に「これから何にでもなれる」という事でもある。見方を変えれば無限の可能性を秘めた呼び名ともいえるのだ。
Encore
さあ、そんなわけでアンコール。
『MANIFESTO:DAY1』は現代の若者たちによる、彼らなりの革命を表現したアルバムだ。
‘ParadoXXX Invasion‘の場合、回転する動きがいっぱいの振付、カメラワークも動作もぐるんぐるん回るMVにそれがよく表れていた。音楽番組のセットでは洗濯機も回り続けてたっけ。
Revolution(革命)の語源はrevolutio(回転)なのだ。もとは天体の回転運動を示す言葉だったのが、政治的変革を表わすようになったという。
ENHYPENの世界でパラダイムシフトは常に重要なキーワード。価値観が固まりかけると、必ず回転を起こして反対側の景色を見せてくる。
そういうところはまるでトリックスター(あるいは道化、ジョーカー)のようだなと思う。
さて、以上がMANIFESTOツアーの中で語られたアルバムストーリーだ。
要はParadise Lost(失楽園)なんである。
楽園で祝福を受けて暮らしていたアダムとイブは、蛇(悪魔)にそそのかされて善悪の知識の木から取った果実を食べてしまう。そして楽園追放となるわけだが、そもそも神への絶対服従は祝福と言えるのだろうか?
HYBEグルは少年期の自我の芽生えを描く時、しばしばこの物語を引用する。
そして彼らはいつも楽園を去る方を選ぶ。
ところで『デミアン』履修済みの方はもうお気づきではなかろうか。
このアルバムストーリーが、テーマや哲学だけでなく展開までもデミアンそのまんまだということに…
全8章からなる小説『デミアン』の前半は、まさに主人公シンクレールの失楽園的物語だ。
こうして並べてみると、ENHYPENのアルバムストーリーは第3章まで見事に一致して見える。
となると、気になってくるのは………?
実を言うと、今回もともと書きたかったのはそこだった。
デミアン第4章とENHYPENのエモすぎる関係については思うことがたくさんある。こうしているのもそこに向かう下準備みたいなもんなので、今しばしお付き合いください…。
そして物語はFATEへ
《VCR⑤》
ステージから彼らが去った後、スクリーンには‘OUTRO: FORESHADOW‘のVCRが映し出される。MANIFESTOの物語を締めくくると同時に、新しい章へ向けた予告のような映像だ。
黒いスーツに身を固めたメンバーは、自信にあふれた眼差しでカメラを見つめる。
だが気になるのは、覚醒によって動き始めたはずの時計の針が、再び進まなくなってしまうこと。
彼らが選んだ道の先はやっぱり地獄なのか、それとも──。
やがて画面はメンバー、ジョンウォンの目、三日月…と目まぐるしく変わりながら高速回転し始める。
再び起こった回転。そして最後に残されたのは光と影が反転した不気味な満月。これが意味するものは……?
☞ 天国と地獄のENHYPEN [青へ帰るFATE] へつづく
お付き合いくださりありがとうございました。
♡するとイプニくじが引けます♪
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