相貌失認的エピソードを読む

さて、新しいものを1つ読んで一区切りにしよう。

藤本寛巳ら(2023).発達性相貌失認を呈した症例の心の声を聴く

3症例のうち、2症例は自閉症スペクトラム障害の傾向がみられたとのこと。
考察で「発達性相貌失認では表情の認識に明らかな低下がみられない」という報告の存在に言及し、これとは異なったと述べている。
同様に、相貌失認では顔の「全体的な処理」に問題があるとされているが、寧ろ全体からの識別を行う症例があったと指摘している。
→相貌失認とASDの顔認識問題は別物であるという説が、現在どういう立ち位置にあるのか不明であるが、このことへの言及はない。そして、この2つの矛盾点。症例数からいって特異な例を引き当てそうもないので、やはり「顔が分からない」現象は、(厳密で純粋な)相貌失認とASD由来があるのではないかと考える。

個別のインタビュー結果について、主に自分の認識と比較してみることとする。

顔をパーツで見るか、全体で見るか
→この話題はよく見かけるが、意味が理解できないのである。目は目だし、顔は顔である。それぞれが具体的にどういうことかを尋ねてみたいが、得られた回答を理解できるか自信はない。

男性より女性、特に若い女性の特定が難しい
→実感はない。
全てエピソードの聞き取り調査だと思われるが、若い女性では髪型や服装などが変わりやすい影響があるのではないか。
そもそも、3症例とも女性であることの影響はどうだろう。例えば生物的に異性の顔を識別しやすい傾向がある、といった仮説は立てられるだろう。

表情の特定が困難。特に怒りと無表情が難しい。
→表情が読めないのは発達障害の特徴でもあったと思う。
発達障害だから表情が読めないのか、発達障害で相貌失認的(相貌失認とASDによる顔認識の困難さは別物という可能性に配慮して言うと、的とでも呼ぼうか)だから表情が読めないのかは疑問である。
怒りが読み取れない、あるいは無表情に怒りを見出したり恐怖を感じるのは、対人関係の辛い経験から来る可能性もあるのではないか。

アニメーションのキャラクターや歴史上の人物は同定できる
→アニメキャラは固定した特徴を持つので分かりやすい印象がある。奇抜な髪色や髪型、決まった服装などである。
歴史上の人物というのが具体的でないが、歴史の教科書に掲載されているような画像のことであれば、決まった画像しか出てこず、背景の色味や白黒の濃淡などの全体的なイメージとして記憶できれば、顔以外で記憶している可能性があるだろう。時代などの背景情報と結びついて触れることが多く、人物のみをフラッシュカード式で試験されたことがないからなおそう思うのかもしれない。

体験や心情について
→嗚呼目を塞ぎたい、というほかになかろう。覚えのある話ばかりである。
鏡像や化粧に触れたのは新しいのではないかと感じたが、どうだろう。家族の顔も分からないという記述は目にしたことがあるが、自分の顔でも混乱が起きるかどうかという問いを見たことがなかった。化粧に関しては、綺麗になっているのかわからない(美醜のイメージがつかめないのな、変化を認識できないのかは不明)、混乱を防ぐために避けたいという回答があった。どちらも想像に難くない現象である。

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