相貌失認尺度

PI200の内容に興味を持った。知能検査の類と異なり、事前に知ってはならないということもあるまい。

中嶋智史ら(2020). 日本語版20項目相貌失認尺度の開発および信頼性・妥当性の検討
簡略化して書くにはどうすればよいのかわからないもので、筆頭著者と年号だけ書き添える。

解析手法の理解が困難だったため、流し読みである。この手の論文を読むたびに感じる、統計処理の知識のなさよ。

以下、メモ。

2015年に作られたPI200の邦訳を試みた。20項目そのものも掲載されており、不適切な可能性のある設問についても言及している。

先行して、2011年にはHPSSの日本語版が作られている。HPSSでは、顔の見分け、社会的不利益、イメージ能力の3因子による。
「赤いバラの形を頭に立体的に思い浮かべることが簡単にできる」かを問うなど、直接的に関係のない項目が含まれるとのこと。
→顔でないものならイメージできるのか、そもそも何であれイメージできないのか、の区別を想定した設問であったろうと思う。アファンタジアという概念があるようだが、彼らは顔をも思い浮かべられないだろう。識別に不自由するかも気になるところだ。
顔だけを得意に識別したり記憶できないことを相貌失認と呼ぶのか、あらゆるものを脳裏で視覚化しにくい者が顔の識別に困る場合も相貌失認と呼ぶのか、それは未だ確定しないことと思う。
端的に顔の話をする上では不適当な設問である、というのは同意する。

PI200はスクリーニングだけでなく、「健常者における顔認識能力についてのメタ認知の測定」すなわち「自身の顔認識能力に対してどの程度正確な認識を有しているか」を測定し、「職業選択などの場面や,他者との付き合い方」に役立てられる。
→診断のための検査以外でも有用だろうという主張には同意できる。広く一般に行われれば、相貌失認が遺伝するという説、ASDの傾向として顔認識が苦手(相貌失認とも違うといった記述をみたことがある)な場合についての解明も進みそうなものである。もっとも、色覚検査廃止を思い返せば、日本社会はそうした自己分析を是としないように思われるが。

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