相貌失認の疑いについて

具体的エピソードはあまりにも個人的で、ネットの片隅といえども公開に抵抗がある内容が多いので、思いつくものを抽象的に列挙する。

相貌失認らしき現象
•1度会っただけの人、特に大勢で会った人とは、次に会っても分からないことが多い
•制服など同じ服装の人の区別が難しい
•時間をかけて慣れていけば分かることもあるが、顔で覚えているのか他の要素による記憶や判断なのかは不明である
•場所や状況など、一定条件下では認識できているが、別の条件の下で遭遇しても認識できなかったことがある
•「見たことのある人」とは再認できる場合でも、複数の「見たことある人」の区別が付かないことがある
•1人だと思っていた人が2人いたことがある(実は双子なのかと思ったが、そうではないらしい)
•「覚えた人」と認識した相手が別人だったことがある
•集団のメンバーを把握するのが、他のメンバーより遅かったことがある。名前を単体で暗記することはできたが、どの人物かわからない状態であった
•写真と実際の人物を見比べて同一人物か分かりにくい
•特に若い頃の写真と同一と判断しにくい
•外国人(人種が違う場合という意味合いになるはず)の区別が難しく、洋画鑑賞時の理解に支障が出ることがある。
•鏡で自分の顔を見ると違和感が出やすく、苦手である

不利益な点
•単純に不便であり、仕事選択に制約が生じたり、業務に苦労する
•待ち合わせが苦手(自分を探している人を探す)
•人違いを起こしてから、確信を得ないと話しかけられない
•失礼であると認識されることを警戒する
•説明しても理解が得られないことがある
•結果として人との関わりを避けがちである

カミングアウトした時の相手の反応
•理由をつけて一緒に写真を撮ってもらえばいい
→写真と実物が同じか分からなければ無意味である。そのような発想が出てくるのが健常者であり、こちらが抱えている事情を伝えるのは困難だと知った。
ところで、人物写真は撮るのも撮られるのも苦手である。特に笑顔を作るということがうまくできないが、これは相貌失認と関係があるのだろうか。
•努力するしかない
→言われなくても今まで苦労し、努力を積み重ねているが、限界があるのだ。

ネット上では「人に興味がないから覚えられないのだ」と非難される事例を見かける。
カミングアウトを諦めたため、こうした人格否定的な見解を直接受け止めたことはないのだが、もし経験したならば、「興味のある相手であっても覚えにくいし、写真を見て同一性を見出だせなかった経験もある。相手への関心の問題ではない」と反論するだろう。

一方で、(相貌失認とはまた別に)ASDの特徴として顔認識に障害が出るのが事実であるならば、他人への関心の低さと顔認識の困難さは相関する可能性が高いのではないか、とも考える。
また、相貌失認ゆえに人に興味を持ちにくい、あるいは対人関係での苦痛を経験して距離を置くこともあり得ると思う。ASD傾向がないにせよ、区別のつかない人の群れの中にいることは十分苦痛ではないか。親しい友人でさえ再認できるか不安を抱えれば、関係の発展を望みにくかろう。
興味もなく顔認識もできない場合、顔認識できないがゆえに興味がない、という事例がありそうなものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?