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daphne 誕生 失敗から生まれた

2002年、私は大学を卒業し家業の輸入元の仕事をしていた。
父親が一人で仕事をしていたので、
アシスタントとして伝票を書いたり、
請求書を発行したり、入金のチェックをしたりなどをし、4月と10月のマニラで行われる展示会に父親のヘルプで同行をしていた時代だった。
マニラの展示会では、空いている時間は何をしてもよかったので
展示会の会場を歩き回り 家業の花材業界の人たちと回るインテリアブース以外の建物を見て回ったりもした。
お客さんの中にざ雑貨やの卸しの会社があり、バイヤー何人かのご一行様をと回っていた時のこと。
普通に買い物をするように、コスチュームジュエリーやかごのバッグなどを見て かわいいものを見つけては盛り上がっていたのだが、いざ買いつけが始まると、さっきまで見ていたものなど見向きもせずに とてもオーソドックスなものを選び始めたんです。あまりにも正直、つまらないデザインのものばかりなので、 なぜさっきに気に入ったものもっとおしゃれなもの達を買わないんですかと聞いてみると、言われた。
私がほしいものじゃなく、お客さんがほしいものを買うのだよ、と。
当時の私はなんだそれは!!と思ってしまった。海外に来て、見たことのない素敵なものがこんなに沢山あって、さっきまでその感性の新しさにみんなでワクワクしていたのに、その”見たこともない”面白いものを、日本にいる人に見せてあげられる立場にいながら、それをしないなんて、なんて罰当たりなんだと。こんなに素敵なもので、まだ 世に出ていないものがこんなにたくさんあるのに、 それを紹介しないなんて、なぜできようか??と。
それを紹介できる立場にいながら紹介しないのは、買い物を楽しみにしているお客さんに悪いし、この人たちがこうやって お客さんがほしいもの、買うものの選択肢を勝手な思い込みで狭めているから日本のマーケットはあんなにつまらないんじゃないのか。だから日本のお店には、 みんなが欲しいものがならぶから、どの店でも同じ商品展開なのではないのか。と、完全ないきどおりを今でも覚えています。20代前半。(若かったな!)
そこで、日本にないもので、日本人に見せたら絶対喜んでくれると思う、という 個性的なものなどは、みんなに見せないなんて罪深い という強い想いがぬぐえず。私がほしいものをみんなに見せたい という想いで買い付けをしてはいけないのか。 ということに疑問が起こったわけです。この日のこの出来事を夕飯を食べながら父親に強烈な不満として話してみると、それじゃ 買って試してみたら。というまさかの展開に発展。
これをきっかけに、輸入の仕事を覚えるためには 自分がバイヤーになって商品を買い付け、お金に変えるまでやってごらん、というチャンスをもらい、その滞在中に発注をして帰る課題をもらったわけです。

この課題に許された日数は2日。
輸入元とはいえ、花材業界の仕事ばかりだったので、その後雑貨や以外に卸し先などは自分で探す他はないのですが、何でもやってみたかったお年頃。こうして 私は人生初の買付をやってみることになったのでした。このあと、はじめてのおっかなびっくりの買い付けでまんまとある失敗をしたことから、この後のdaphne誕生のきっかけに繋がります。 

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