ラマダーンが明けたよ!
4月10日、ラマダーンが明けました。
今年のラマダーンは3月10日の夜から始まっていました。
セネガルは世俗国家ですが、人口の95パーセント以上がイスラームを信仰しています。
そんなわけで、ラマダーン中は街の雰囲気も変わり、日中は多くの人ができるだけエネルギーを使わないようにのんびり過ごします。
お店や大学図書館も、通常より早く業務が終わります。
そして日が沈むと(ダカールでは19時23分が日没でした)、ウォロフ語でNdogu(ンドグ)、アラビア語ではIftar(イフタール)と呼ばれる日没後1食目の食事を食べ、数時間後の夕食までおしゃべりをしたり、モスクに行ったりして過ごします。
ちなみに夕食にはチェブジェンやマフェ、ドモダなど、普段セネガルで昼食として食されるものが出されます。
さて、ラマダーンが明けると、明けの祝祭があります。アラビア語ではAÏd al-Fitr(イード・アル・フィトル)と言い、ウォロフ語ではKorité(コリテ)と言います。
ラマダーンが終わりに近づくにつれ、色んな人からコリテに誘われはじめます。友人やご近所さんはもちろん、ちょっと顔見知りくらいの人からもとにかく誘われます。
今回私は、ホストファミリーとその親せきと一緒にコリテを過ごしました。4月10日、朝11時半ごろにダカールの親せきの家へ向かいます。
タクシーからはすでに着飾って歩く姿の人たちが見えます。
男性であればイスラームの伝統衣装であるブーブー、女性であれば、ゆったりとしたグランブーブーやタイバースと呼ばれるツーピースのアンサンブルを着ている人が多いです。
バザンと呼ばれるジャガード生地で仕立てられた服は、セネガルの強い日差しの下でキラキラと輝き、見る角度によっては同じ服でも生地の印象が大きく変わります。
ハルマッタンの風を抱いて膨れ上がるグランブーブーはとても煌びやかで、街の祝祭感を一層高めます。
さて、親せきの家に着くと、ラマダーン明けの挨拶をします。
普段であれば
「Salaamaalekum(サラーマリクム)」と挨拶し、その返答に
「Maalekum salaam(マリクム・サラーム)」と返します。
一方ラマダーン明けの挨拶は、仮にAさんが「Baal ma àq(バール・マ・アック)」と挨拶をすると、その返答にBさんは「Baal na la àq(バール・ナーラ・アック)」と返します。
そして、Aさんはその返答として「Yàlla na ñu, Yàlla boole baal(ヤッラーナニュ、ヤッラーボーレバール)」と言い、Bさんは「Amin(アーミン)」と応えます。
ほかにもバリエーションはありますが、大体このような定型の挨拶に沿ってマイナーチェンジが行われます。
日本でも新年を迎えると「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。」というように定型の挨拶を使用しますが、ラマダーンの明けの挨拶もそのように変化します。
ちなみに、「baal ma àq」は「私を許してください」、「Baal na la àq」は「(あなたを)許します」という意味で、「Yàlla na ñu, Yàlla boole baal」は「神が私たちを赦し給いますように」というような意味になります。「Amin」はキリスト教でも使われる「アーメン」が使用されます。
挨拶を終えると、リビングに通されました。親せきのお家は最近引っ越したばかりということもあり、まだ家具もあまり揃っていませんが、そのせいで大きなお家がさらに広く感じます。
みんなでしばらく、おしゃべりをします。
家族の話や、新しい家の建設費用はいくら掛かったとか、今回の選挙結果についてとか、話題は尽きることがありません。
そうこうしているうちに14時ごろ、昼食が出てきます。羊を一頭焼いたものとお米を水と油で炊いたニャンカタンに玉ねぎソースをかけたものが出てきました。「これは何という名前の料理ですか?」と親せきのお父さんに尋ねると「バーベキュー」だと答えてくれました。
大皿に盛られた料理をみんなで囲み、手で食べていきます。左手は不浄の手とされているので、右手を使って食べます。食べやすいようにお米を俵型に握っていきます。ちょうどお寿司のシャリのような形になっていきます。
飲み物はお水のほかに、ビサップジュースと呼ばれるハイビスカスでできたジュース、バオバブの実から作られたブイジュース、そしてショウガのジュースが入ったペットボトルが並べられます。各々が好きなものを好きなだけ飲みます。
おなか一杯食べた後は、しばらくのんびりします。ホストファミリーやその親戚たちは、パリで働いている子供の話や、パリの物価がどんどん上がっている話、セネガルのお米は質が悪いという話などをして、会話はどんどんと進んでいきます。
そんな感じで団らんしていると、デザートとしてお皿に盛られたフルーツが出てきました。写真は撮っていないのですが、りんご、バナナ、パイナップル、梨、オレンジ、メロン、そしてビスケットが盛られたお皿が1人ひとつずつ手渡されます。
もうこの時点で大人たちはおなかいっぱいなので、みんなそれほどデザートには手をつけません。
暫くすると子供たちがやってきて、余っているフルーツを食べていきます。
それからまたおしゃべりをします。私がお世話になっているホストファミリーもその親戚も、長らくフランスで働いていたからか、フランスとセネガル間での暮らしの違いや困難さについての話題が多く出てきます。
そうこうしていると、デザート第二弾が来ました。お皿にジュースを注ぎ、そこに先ほど食べたフルーツを小さく切ったものが入れられています。フルーツ尽くしです。そしてまだまだおしゃべりは続きます。
気が付くと夜の8時を回っていました。満腹感と疲労感でそろそろ帰りたくなってきます。
しかしホストファザーと親せきのお父さんが、フランスのパスポートとセネガルのパスポートの国際的な信用度の違いという重大な議論を始めました。
ほかの家族も、二人の会話を中心に各々の意見を発言します。私も、これは重要だ!と思い、ホストファミリーたちがどのような思いでフランスで生活をしていたのかに耳をそばだてます。
するとまたお皿が運ばれてきました!夕食のLakh(ラー)です。茹でたトウジンビエの上にヨーグルトがかかった料理です。ヨーグルトの甘さと、トウジンビエの香ばしい風味がよく合います。
食事中も活発な議論が続きます。もう今日は深夜まで続くのかな、と思っていると、ホストファミリーはラーを食べ終えると「じゃ、帰るか」と言って、意外とあっさり帰る準備を始めました。
え?あんなに白熱してたのに、このタイミングで帰るの?と私は一瞬耳を疑いますが、周りもなんとなく帰る準備を始めています。
そんなもんか。と思い、私も帰る用意をします。
別れの挨拶をする中で、親戚たちが「またいつでも来なさいね」と言って見送ってくれました。
帰りは、行きと同様にタクシーを拾います。21時過ぎのダカールは、おしゃれをして出歩く人が日中よりもはるかに増え、街の祝祭ムードがさらに高まっていました。
実はコリテの前日、私はホストファザーにコリテでは具体的に何をするか、と尋ねていました。すると彼は笑いながら「ご飯を食べて食べて、食べまくるんだよ」と応えてくれました。
「本当にそれだけ?」
「本当にそれだけだよ」
前日のやり取りを思い出しながら、帰路のタクシーの中でホストファザーに「本当にご飯を食べまくったね」と言うと、「だから言ったでしょ。これがコリテなんだよ」と満足そうな表情をしていました。
(文責:前田夢子)