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"さよならだけが、人生だ"

私は短期記憶が圧倒的に弱い。弱すぎてメガネメガネ的なことをしょっちゅうやっている。大事なものは落とすしなくすし置き忘れる。大事だから、と普段慣れない場所に置いて忘れるということを呆れるほど繰り返すため、大学生の時、上海空港で国際線のチケットも見失うし(買い直して帰国した後に、カバンの奥から発見)つい最近もiPhoneをスペインの空港で落とすし、一眼レフすらオーストリアの空港で落きわすれたことがある。ちなみに通勤定期は人生で8回落としたことがある。(うち7回戻ってきたのはちょっと自慢である)
話が逸れたが、とにかく我ながら挙動が全く信用ならない。一時期真剣に悩んで、記憶に関する脳神経科学の本も読んだ。結論きっとシナプスの結合が何らかの理由で弱いのだと一人納得したが、何も解決はしないまま終わった。気を張ってる仕事は別として、基本的に私に物を預けないでほしい。私もできたら自分に預けたくないと常々考えている。

その代わりと言っては何だけれど、頭の中に「あの日あの時の気になる言葉BOX」がある。
聞いた瞬間には意味がわからない言葉を、ずっと心に留めておくのだ。数年後にとりだして眺めて、ようやく言葉の真の意味を理解する、ということがよくある。

そんな私が最近理解した言葉は、井伏鱒二の詩だった。

「花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ」

1000年以上前、唐の時代の漢詩を訳したこの言葉は、いたるところで紹介されている有名な詩だ。
私も高校生の頃にこの詩と出会った。いい響きだなぁ、素敵だなぁと桜の季節が訪れるたびに思い出していていた。でも本当に心から分かるようになったのは、色々な別れを何度も経験してからだと思う。

"さよならだけが人生だから、
今この出会い、
時間を大切にしよう"

大人になって、兄を見送り、母を見送り、母を追うようにして病に倒れた父も見送った。父が亡くなったのは、ちょうど桜の咲く時期だった。亡くなった人ばかりではなく、もう縁が切れた人もいる。そうなったからこそ、この言葉が染みる。

さよならだけが、人生だ。
だから、生きよう。

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