毎日、THE FIRST SLAM DUNKを見ている

6月10日にNetflixで配信開始されてから、新装再編版を全巻大人買いし、仕事が終わりご飯を食べたあと毎日1回は見ている。休みの日は1日2回見ている。その後、寝る前に漫画も好きなシーンを読み返しているから、毎日寝不足である。
仕事中は「第ゼロ感」が頭の中をエンドレスで流れている。

映画館の公開中に一度足を運んだ。「みんなが滑らかに動いている!」と衝撃を受け、最後のあのシーンに感動し、「絶対もう一回に見に行く!」と息巻いたものの、結局その後、映画館に再び行くことはなかった。

私はスラムダンク世代ど真ん中で、小学生の頃、単行本を追うのと共に勿論アニメも見ていた。
アニメは当時でもかなり凝った作りで、花道がゴリにゲンコツを喰らう瞬間のシーンは、コマ送りにしないと確認できないようなデフォルメされた花道のイラストが星ともにほんの一瞬流れたりしていた。そんなところは録画して一時停止して、チェックしていたくらいだった。
ミッチーの「バスケがしたいです」には号泣し、対陵南との試合では仙道の圧倒的な強さに震えた。

でも、いつからだろうか、成長するにつれスラムダンクから離れた。最終話のストーリーは記憶しているものの、その最終話をいつどんな形で見たのか覚えていないくらいだ。
大人になり、時々全巻読み返したい気持ちになり、レンタルして読んだりもしたこともあったが、直近ではそれがいつなのか覚えていない。

その最終回から30年弱(文字にすると恐ろしい…)、Netflix配信日は知っていて、「あー、映画どんな感じだったけ。もう一回くらい見たいなー」の気持ちでいた。
そしてその日に出かける用事があり、配信日が今日だったことを思い出し、出かける前の身支度のお供としてたまたま再生させた。
漫画を何回も読み返したはずなのに、映画館に見に行ったはずなのに(そして1回しか見に行かなかったのに)、見始めたら目が離せなくなり、結局最後まで試合を見届け、出かける予定が随分押してしまったのだ。そしてその用事を済ませた先で、単行本を全巻購入した。

その後、「あのシーンをもう一度見たい」、「〇〇が実は観客席に映っている」、「あの服の色は〇〇を表している」という解説や色んな人の感想を読み漁り、また見たくなる、の繰り返しで今に至る。

大人になってしまった私が見るには、青春のほんの一瞬の輝き、勝利への情熱、努力や才能が眩しすぎて、毎回涙なしでは見られない。映画のストーリーに感動しつつも、実は自分の10から20代の頃と今の自分を比べてしまうから泣いてしまうのではないかと最初は思った。「あの頃の自分が人生で一番輝いていたように思え、現在の自分の状況がそれほどではないからだ」、と。
でも、私は今、不幸だと思ったり、人生に絶望しているわけはない。平穏な毎日で、仕事もあるし、ご飯は美味しいし、幸せに過ごせている。
そう考えると自分が青春していたと思う「あの頃」の愛おしいキラキラした思い出が、今の自分を作っている一つの要素なのだなぁ、と感じる。
取り戻せない日々を悔やむのではなく、そういう思い出は時々向かい合ってちょっとセンチメンタルに思いを馳せるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

そんなことを考えて今日も2時間4分、THE  FIRST SLAM  DUNKを見ている。



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