「教え魔はよくない」。シンプルな話なのかな?実は根深いのでは?

教え魔はよくない、とは話されるけど。

「教え魔」にしてしまいやすい、「されてしまう側」のフレーズや話し方もあるよなー、ということを思ったりしてる。

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コミュニケーションって、どっちか片方が「ダメ・悪い」ってことはなくて、でも双方がダメ、ってわけでもなくて。関係性、橋渡しの部分だと思うんだよねー。

結構前から思ってたんだけど、やっと輪郭が見えてき始めたので、「そう思ってるよ」とチラリと書いてみる。

一旦、ここまでで終わり。あとは蛇足ともいえるし本題とも言える。

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もちろん、相手は変えられないから(相手が気づくきっかけを与えることくらいが精一杯?)、「変えられるのは自分だけ」。

ただ一方で、これは、ソーシャルダンスみたいな短時間の話だからで、普通の「友達」とか、もっと親密な関係とか、あるいはソーシャルダンスでも、「そういう、コミュニケーション改善のための時間を、それぞれが自発的な意思で集まる形で、(愚痴や文句ではなく)とれた」なら、

「目指したいゴールはどこか」ということをそれぞれに理解しあって、共通点が見えるところがあれば、それを旗印にして、「じゃあ、どうすれば、それぞれがいい感じに変化しようとできるかな?」というような、「自分も、相手も変わる」機会を得られる。

そういう機会、僕が、なにかワークショップやる時だったりは、入れたい。

PS
前回、シブヤジュマンジでBrZoukを伝える機会をもらった時に、それをシェアする場を作ってみた。

この辺って、かなり応用効きやすいから、地味に価値が高かったとは思ってる。
別にBrZoukに限らないし。もっというとダンスも越えていける。

PS2
「私たちは我慢してるのに」という声も聞こえてくる気もするけど、「我慢」してるだけだと、我慢を継続するか、その場を離れるかしか、結果が残らないと思う。

(時間が解決するパターンもなくはないけど、時間かかるし、能動性はゼロかな、と。「見守る」なら別だけど、「我慢」の場合は)


ま、あんまり書くと、お怒りが来そうなので、この辺で〜😆 

それにもちろんそれは、「教え魔される側」だけでなくて、「教え魔する側」が改善必要なのも確か。この記事は、いわゆる教え魔という話を既に知ってる方向けに、焦点の当たりにくいところと、関係性について、書きました。(ので既知の知識で、「まずは何が問題なのか」を補いつつ読んでね)

冒頭にも書いたように、誰かを「悪い」とは一言も言ってませんので、お見知り置きを(関係性の部分の課題、という認識ですよー)

これは、考察だよ😆

あと関係性の話なので、僕が全ての関係性を良好にできている、という前提ではありません〜。(むしろその自信を持ってる人は、リスク高い) 

基本的には。これを書くことで、関係性がよくなれば、される側はもちろん、してしまってる側も(「したくてしてる」わけでもなく😅、むしろ「相手に喜んで欲しい✨」がためにしてるはずだから)、ハッピーになれるはずだから、双方のハッピーを願って書いてるよ。😆

僕も成長過程なので、よろしくお願いします〜。🙏😊

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