メロディアスな曲は素の自分で踊ってはダメなのだということを思い出した

深夜のテンションで自戒的なことを書く。

新型コロナ対策の緊急事態宣言が明けて、アルゼンチンタンゴのプラクティカに参加した。
ダリエンソ系のリズミックな曲はもともと得意で、ブランク明けだが勘を取り戻しながら踊れた。

しかし、メロディアスな曲の踊り方を完全に忘れてしまっていた。どうしてもグダグダになってしまう。これは技を忘れたとか、もっと溜めを入れないといけないとかそういう技術的なことではなく、どう踊ればいいかの心構えがすっぽり抜けてしまっていた。

そこで思い出すために先生と踊らせてもらった。音楽とともに先生のアブラッソから情熱が伝わってきて、それによって踊り方を思い出せた。伝わってきたのは「私はこの曲に本気で取り組む。あなたはどうなの」というようなことだ。

それによって、メロディアスな曲は、素の自分で踊ってはだめなんだということを思い出せた。
非日常な空間で、自分もまたフロアでこのすばらしい音楽を表現するために、最高にカッコいい自分になりきらないといけないのだと。

日本人の多くはシャイであり、自分もそうなのだが、シャイなままの自分ではメロディアスな曲は表現できない。
フロアに立った瞬間から素のシャイな自分を捨て、表現者にならないといけない。

心構えは、踊りにとても影響する。グダグダだった自分の踊りが、音楽と一体となったようにピタッとはまった踊りに変わる。フロアで最高に輝いている自分をイメージしてそれになりきるというのは、とても大事なことだ。

放っておくと自分は素のシャイな平均的日本人に戻ってしまうので、自戒としてこれを残す。

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