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映画の主人公になりたくて……。

思い返せば黒歴史すぎて恥ずかしいんだけど、昔の私はとても影響されやすい人間だった。
当時は映画を観ると、その主人公に強いあこがれを抱き、「あんな風になりたいっ!」と真似ばかりしていた。

一番影響を受けたのはジャッキーチェンで、少林寺憲法を習いに行き、酒が飲めないのに酔拳を独学で修行し、指で胡桃を割ろうとひたすら頑張った。痛かったし、怪我もいっぱいした。時計台とまではいかないが、高いところから飛び降りるなど、命を危険にさらすこともあった。もちろんセーラー服(水兵のやつ)も買った。それを着て街中を歩いたり、高い塔に登って遠くを見つめてるのだからもう、変態である。今の時代なら警察に通報されていたかもしれない。それでなくても外国人の血が混ざっているということで、近所から奇異の目で見られていたのに輪をかけてやばいやつになっていたのは、すべて映画のせいである(←いや、お前が影響されやすいせいだ)。

カンフーマスターになるため、両手両足に数キロの錘をつけて生活していたこともある。これらを数ヶ月着用し、外したら本気で2階の屋根まで飛べると信じていた。

霊幻道士を観て道士に憧れたときは、銭で作った剣を月夜に照らし、風水の勉強を始めた。香港まで行った。風水がめちゃくちゃ難しかったので諦めたが、お札を書く練習はした。でも、お札は鶏の血で書く必要があり、蛇の卵も治癒には必要だった。それらを本気で集めるほどには頭はイカれてなくてよかったと本当に思う。ちゃんと、赤い絵の具を使った。

その後も、なんとかして本物のライトセーバーを作ろうと思ったり、ジェダイになるためフォースを覚醒させようと精神の修行にでたりもしたが、映画の中の主人公たちと同じようにはなれなかった。当たり前だ。

最終的に、アメリカ映画の登場人物や街に憧れ、移住する決断に至ったが、現実はまったく異なるものだった。映画と現実は別物だ。
中年になり、「憧れは理解から最も遠い感情」という漫画キャラのセリフの意味を理解した。

ただ、幼い頃の自分があまりにも影響されやすい性格だったからか、今ではまったく影響を受けない人間(というか、影響を受けて行動しても思うように進まないのを学んだ)になったので、それはそれで経験としてよかったのかもしれないと思う。

理想ばかり追うと現実とのギャップに苦しむ。
映画はフィクションだ。
理想化された世界に囚われるべきではない。

憧れるのは、ほんとうやめるべき。

くるみ割り修行のイメージ

#映画にまつわる思い出

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