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ひとりきりになるかもしれなかった秋と、傷痕の話

※オタクの話ではない、あんま明るくない、まとまりのない話。
※病気とか手術とかそんな類のセンシティブなお話だよ。

ご存知でしたか!?毎年10月は臓器移植普及推進月間だそうです!
今回はそんな類の話です。なんかこう、二日くらい前に、ふと思い出したことがありましてね。
出だしがこんな感じですが私が当事者になったって感じじゃないです。むしろ傍観者サイド的な。
家族の話ではあるんですが、家族に話せねぇ…言えねェな…ってなったんでネットに書きます。
お気持ち整理用みたいなヤツです。ビビリな私の記録です。

我が家は、映画とスノボーとが好きな父、天然の母、最近バ美肉を得た兄、私の4人家族です。

で、ウチの母親が昔から肺を患ってる人でして、私が高校生になるくらいの頃にそこそこ重めの病気が発覚してしまたんですね。
私が前の前の会社に勤めてたくらいの時期にその病気が大分ヤバいことになり、
マジで大がかりな手術しないと、母親が一年持たずに死ぬかもと聞かされて決断を迫られた訳です。
その手立てがまあ、肺移植だったんすよ。そんで、ドナーも待てない状況だから生体肺移植になるんですわ。
(特定の病名出しちゃうと、それで調べてる方のノイズになりそうなので、生体移植が必要な重めの肺病、程度で認識しといてくれ)

父親は当然覚悟キメちゃってたわけですが、一人からは片肺しか出せないんですよ。
で、私と兄も肺移植が可能か的な検査を受けた訳です。それがだいたい今くらいの秋の頃。

衝撃的な話を聞かされて、検査まで受けたうえで言うのも何なんですが、正直なところ当時の感想としては「現実感皆無~~~」って感じでした。
割と母親が長い事入院していたことも知ってたし、お見舞いに行っても横になってること多いな…とは思ったんですが、展開が急すぎて理解とかが追い付いてなかった。
そして私は、当時ハマってたコンテンツのイベント現地が控えていて「マジでドナーになるならお譲りも検討せんとな~」とか、検査後兄に「私近々現地行くからさ、お兄ちゃんドナーになる?」とか言ってた。マジで最悪。

検査結果は、血液型も肺の綺麗さも、二人ともクリア。母の強い要望で父と兄がドナーになることになった。
そして、我々の検査から二週間も経たないうちに肺移植の手術は行われることになった。
一年持たない、と伝えられてたけど、状況はもしかしたらそこまで逼迫していたのかもしれない。

私は手術当日に立ち会えばいい、って言われていてその数日前に父と兄は入院した。
当時兄は一人暮らしをしていたので、家族三人(とはいえ母が入院してたのでそん時は父と私の二人暮らしだったわけですが…)で住んでた家は私一人になってしまった。
そんな急に手術や入院するとは思っていなかったので、一人分には多い食材も冷蔵庫に入りっぱなしだった。

なんというかこう、家族が暮らしていた家にひとりきりにされてしまって、
もし手術が失敗してみんなが死んでしまったらどうしよう、みたいな気持ちさせられてしまったんですよ。唐突に。

手術の成功率は高い、お医者様も同じ手術を年に何回もしている、とは聞かされていたけど世の中に絶対ってないじゃないですか。
天涯孤独になるって訳じゃないし、親戚は父方にも母方にもいるんだけど、
怖いというよりも、こんなにあっさり四人が一人になるかもしれないんだな~と思うと、何とも言えない気持ちになりました。

手術当日は、私と母方の祖母と叔父が立ち会うことになった。
ちなみに住んでるところから県を何個も移動しなきゃいけないぐらい離れた土地で手術だったので、
検査も含めて会社も短い間に二回も休むことになった。ありがとう前の前の会社。
手術室に向かう母と父と兄の姿を見ても、現実感が本当になかった。ドラマとかでこんなシーン見たな、程度の感想しか抱けなかったし、
その後に実は術後に必要な除菌アイテムとか入院アイテムが揃っていないことを知っていたので、慣れない街中を走り回る羽目になった。
確か7時間くらいの予定だった手術がもっと伸びたので、そんな間ずっと待ってたら泣いたり錯乱してたかもしれないから丁度良かったかもしれない。って今では思う。

手術終わった後に見せられた摘出された母親の肺を見せて頂いたのですが、
何か赤黒いモノがすごいデカいタッパーに入ってたな……って部分だけ覚えている。
手術の後、麻酔(当然全身麻酔だった)が切れた父と兄を見て安心して、そのままとんぼ返りした。

手術の翌日、会社で普通に働いてた。祖母とかにも、会社にももう少しゆっくりせんで良かったの?
的な感じのことを言われたけど、あまりに現実感がなさすぎて日常生活に一秒でも早く戻りたかったのかもしれない。
ちなみに手術日は平日だったんですが、ちょうどその週の土曜日にイベントだったので、
無事に参加することが出来ました。よかったね。

まあ色々書いたけど、手術は無事成功して、母は兄と父の肺と共に生きていくことが出来た。
母の着替えを手伝った時、肋骨のあたりにメスの跡があったりしたのが見えた。
そして兄と父が家の中を上半身裸で歩いていると、同じような位置に傷痕があったりする。

後で聞いたんですが、手術とはいえ私の体に傷がつくのを母は嫌がっていて、私がドナーになるなら移植はしない、とまで言ってたらしい。

家族の傷痕を見てなお思うのですが、母の希望があったとしても、兄がダメなら私は多分手術受けてただろうな~って思う。
なんというか、何もしなかったし、出来なかった私から見て、三人の痕は目に見える母との、家族の絆のようにも、かけがえない思い出のようにも見えてしまうなぁと感じてしまった訳で。
実際手術したらマジで痛いだろうし、術後のリハビリも含めて結構大変だっただろうし、何より母を悲しませるしで色々変わってたかもしれないですがね。

とか言いつつ、これは『もしも』の話なので、結局そうはならんかった訳ですし、
私の胸部はメスの痕ひとつすら無い肌のままなんですが。

その後も我が家は色々あったわけですが、それはまた機会があれば。
とりあえず、手術は成功して、イベント現地にも行けて、4人家族の我が家のままだったので、

まあひとまずはハッピーエンドということで。

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