弓指寛治

弓指寛治さんに関して

あいちトリエンナーレの、トラブルによって円頓寺に壁画アートを描くイベントを中止になってしましました。                  そこで描かれる予定だったのは、事故で亡くなられた子供の折鶴をテーマにしたものでした。彼はずっと描けなかったのが心残りでもあったと語っていました。

不自由展、検閲の余波を受けた弓指さん、彼も検閲を問題視し、彼が出来る事として愛知に作家として貢献し作品を残したいと考えていた。

そこに、お店に絵を描いてくれないかと、熱田神宮前のフルーツジュース屋さんから依頼が入る。

そして弓指さんはシャッター、壁へ作品を描くことになる。       何を描くかを悩んでいたが、商店街の方々と会話していく中で、     スサノオはどうだ?と言われた(熱田神宮はスサノオに関連する場所)。

しかし、商店街等現地を知るために何度も足を運んでいる途中、     あのリコール活動に遭遇するのである。そこでは市長があんな天皇を踏みつける事なんてあかんと街宣していたのです。そして周りではチラシを配っていて弓指さんも声をかけられた

リコールのボランティア『こんな酷いことをしてるんですよ』

弓指さんはあいトリ最低っすよねーと冗談で返しながら受けとたった   チラシをみて、本当に酷い内容の書かれようでで悲しかったと・・・

そしてスサノオは描くのを辞めたいと申し出た、神宮前の個人のお店に神様を描き、このお店が右翼の所縁のある場所として見られて欲しくない。彼らに作品やお店、商店街を利用されて欲しくないとの思いでした。

そして、熱田神宮や熱田と関わりもある実在する白鳥をデザインすることに決めた。羽ばたいている姿は彼の心残りだった折鶴と重ねているのもある。そして書きながら商店街や地元の方々と話し合い作品を作り上げていった。

作者の思い。お店の思い。少年の思い。商店街に活気を与えたい。町を盛り上げたい。町と会話をした作品。生まれた経緯をしると本当に感動する。この先商店街と共に年を重ねる作品。色んなものが詰まっていた作品。

どうか表現を守りたい。

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