4630万円誤送金事件がこれからどうなるのか予想してみた

山口県阿武町の誤送金事件について、ネットでの反応が曖昧な知識や間違った思い込みをもとにして、あれやこれやと大騒ぎになっているので、俺自身の持ってる専門知識をもとに解説してみたいと思った。
多くの人が気になるのは概ね下記の通りだろう。

1.現状がどうなっているのか
2.持ち逃げ犯はどんな責任を負うのか
3.これから先の展開はどうなるのか

ということでこの3点について、現在俺が知り得た情報をもとに書いてみようと思う。

阿武町の公開した情報によると、誤送金が判明してすぐに担当者から持ち逃げ犯(以後T氏)に連絡をとって取り戻しのための手続きをとるようにお願いしたという。
この状況から、T氏は自分の口座に4630万円の振込をされたことについて、担当者から連絡を受けて初めて知った可能性が極めて高いと思われる。
連絡を受けたT氏はこれに応じる旨の返答をしたものの、「風呂に入るから1時間ほど後にしてほしい」とのことだった。
担当者と合流してからは、車で銀行まで向かっていたが、途中で「今日は手続きをしない」と言い出し、また、「知り合いの弁護士と相談する」とも言っていたという。
このことから、T氏は少なくとも手続きの延期を申し出た時点で振込金の返還を免れることを考え始めていたと思われる。

現時点の最新の報道では、正しいかどうかは不明ながら、口座の入出金履歴の内容が明らかにされている。
この履歴から読み取れる出金情報からは、振込金がまだ残っているか、あるいはもう残っていないかは、どちらも可能性があると言える。
T氏の供述通り、オンラインカジノで少しずつ溶かして全額使い切ってしまった可能性もあるし、オンラインカジノのチップに変換しただけで、まだすべて負け切ってはいないからチップの残額を再度現金に払い戻せる可能性もある。
T氏には弁護士がついていることから、返金を免れるために一時的に使い切ったことを偽装している可能性もある。
ただしいずれにしても4630万円が丸ごと残っている可能性は無さそうではある。
つけている弁護士への弁護士報酬も支払っている(もしくはこれから支払う)はずだから、どこかにある程度の金は残しているはずだと思われる。
弁護士だって無料でこんな事件の擁護をするはずがないわけだし。

T氏はどんな責任を負って、今後返金をすることができるのか。
T氏は民事責任と刑事責任の2種類の責任を負うことになる。
法律的には誤って振り込まれた金銭は不当利得となり、これは返還する義務を負うことになる。(民法703条)
いくら返還すれば良いのか。
原則としては、「現存利益」を返還しなければならない。
これはざっくり言うと、残っているお金を返還すればそれで良いということだ。
この現存利益の範囲に入るのは、現実に残っているお金や、生活費や借金の返済などに使ったお金だ。
生活費や借金の返済に使った金は、実際には残っていないけど、元々出て行くお金だったから最終的に本人が支払うべきものとして、使ってしまった扱いにはならないから、残っているものとして返還義務の対象になる。
また、不動産や車などの財産的価値が高くて換金ができるものも現存利益に入るので返還義務の対象になる。
お金の価値が別の財産的価値の高いものに変換されただけという意味だ。
そして返還義務の対象にならないのはギャンブルや一時の遊びに使ってしまったお金だ。

以上を原則とするが、誤って振り込まれたお金で自分のものではないと知りながら使ってしまった場合は、返還義務の対象が現存利益だけでは済まなくなる。(民法704条)
その範囲は不当利得の全額(本件では4630万円全額)を返還しなければならず、損害が発生した場合は損害賠償の責任も負う。
つまりただ返すだけでは済まないということになる。
ここを誤解している人が非常に多いが、使ってしまえば現存利益が無いから返還義務を免れるというのは間違っている。
そんなことが許されるならやった者勝ちになってしまうが、法律がそんな甘い考えを容認するわけが無い。

阿武町がT氏に対して返還を求める訴訟を提起した。
これは民事責任を問う民事訴訟で、請求額は約5100万円となっている。
この請求の内訳は、不当利得4630万円と、弁護士費用や回収にかかった費用が損害賠償となっている。
民事事件の性質としては、不当利得返還請求と損害賠償請求の2種類の請求訴訟ということになる。

刑事責任、つまり犯罪を犯したことによる責任としては、罪状は電子計算機使用詐欺になる。(刑法246条の2)
これは詐欺罪の派生だと考えれば良い。

本件のように誤振込された金を、自分のものではないと知りながら引き出した場合は、基本的には詐欺罪(刑法246条)か窃盗罪(刑法235条)が成立する可能性がある。
銀行の窓口で現金を引き出した場合は、銀行を欺罔して「財産の処分」をさせたことが成立条件となる。
「財産の処分」とは、銀行(の人)に「お金を支払ってもいい」と思わせて支払わせたことだ。
銀行を騙して支払わせたから詐欺罪ということだ。

ATMを使って現金を引き出した場合は窃盗罪になる。
ATMは機械だから人間のように心を持っていないので、騙されるということがあり得ない。
だから財産の処分の意思を持つことが無いので、窃盗罪になるということだ。

電子計算機使用詐欺は、ATMやインターネットバンキングで、口座の金を別の口座に移したり決済することによって成立する。
「現金」を直接引き出してはいないので、詐欺罪とも窃盗罪とも言いにくいケースに対応するために規定された罪になる。

それぞれの法定刑(裁判で有罪になった場合に受ける刑罰の内容)は下記の通り。

窃盗罪 10年以下の懲役または50万円以下の罰金
詐欺罪 10年以下の懲役
電子計算機使用詐欺罪 10年以下の懲役

こうしてみるとどの罪に該当しても重さはほとんど同じで、電子計算機使用詐欺罪が詐欺罪の派生だということもわかる。

T氏は電子計算機使用詐欺罪で逮捕されたので、今後刑事裁判によって有罪判決を受けることになるだろう。
被害額の大きさや犯行態様の悪質性から考えて、実刑判決を免れることはないだろうと個人的には予想している。
ちなみに、執行猶予がつくのは懲役が3年ぴったりまでで、3年を超える有罪判決は執行猶予がつく可能性が無く、即実刑となる。
誤解の無いように書いておくが、3年以下の有罪判決がすべて執行猶予がつくわけではない。

以上、T氏は2種類の責任を負うことになるが、それぞれの責任は独立していて手続きも別々だから、刑事罰を受けたからといって民事責任である返還義務を免れることはないし、逆もまた然りだ。
これもまた誤解している人が多いが、懲役を受けてシャバに帰ってきたら、隠しておいた金を丸儲けにできると思っている人がいるが、そんなもの大間違いも良いところだ。
せいぜい刑事罰の程度が、返還の程度によってはわずかに軽くなることがあり得るくらいだ。

今後の展開はどうなるのか。
刑事裁判は有罪判決が出るだろうし、民事訴訟も原告(阿武町)が被告(T氏)への支払請求を認める、原告勝訴の判決が出るだろう。
ただし請求額通りの約5100万円全額支払いの判決が出るかどうかはわからない。
不当利得分に当たる4630万円は全額認められるだろうが、損害賠償分に当たる約500万円は認められない部分があるかもしれない。
最終的には4630万円から約5100万円の間の金額の支払いを命じる判決が出ることになるだろう。

民事訴訟では、支払請求権が認められる判決が出ると、これが「債務名義」というものになる。
この債務名義とは、単なる請求権ではなく、これを根拠にして支払義務者に「強制執行」をする権限が付与されている請求権だ。
強制執行とは、支払義務者の財産を差押えして、裁判所の権力で無理矢理支払いをさせる手続きのことだ。
本件に当てはめて具体的にどうなるかというと、オンラインカジノでチップに替えたお金が未だ残っていて払い戻しができる場合、この払戻権を差し押さえてお金を直接取り立てることができる。
また、T氏が社会復帰した後も、返還が終わっていなければ債務名義が消えないので、収入を得た場合は銀行口座を差し押さえたり、給与を差し押さえたりできる。

債務名義は判決確定のときから10年で時効にかかって消滅するが、消滅する前に再度請求訴訟を提起して勝訴すれば、そこから新たに時効が10年延長される。
だから、阿武町が回収をあきらめずに法的手続きをとり続ける限りは、全額回収できるまでT氏に返済を迫ることができる。

さて、ここでこの債務名義の真の強さが発揮される。
債務名義だけとっても、実際にはお金を回収できなかったら意味が無いじゃないか、というのは一理ある考えだ。
しかし債務名義があるということは、金銭や財産を得たらそこに強制執行ができるということはもちろん、その性質として当然に「負債」だ。
負債とは要するに借金などの債務だ。
この負債がある者は、生活保護を受けることができない。
T氏が今後生活に困窮するようなことがあっても、多額の負債を抱えている限り行政からの援助を受けることができない。
生活保護を負債や借金の返済に充てる目的で受給することは、生活保護本来の目的とは異なるからだ。
やむにやまれず生活に困窮することになった者を援助する、国が用意したセーフティネットの恩恵を享受しようとしても却下されてしまうのだ。
つまりT氏が生活に困っても助けてくれる人はまずいないし、そんなことになっても自分のまいた種だということだ。

じゃあ自己破産すればいいんじゃない?と思う人がいるかもしれない。
破産とは、負債を抱えて支払能力を超えてしまった人の財産関係を裁判所による手続きの中で清算して、保有している財産は負債への返済に充て、返済しきれなかった負債は返済義務を免れさせる制度だ。
要するに借金や債務を帳消しにする制度ということだ。
しかしこれもそんなにうまいものではない。
破産手続の中で負債の返済義務を免れさせる裁判所の決定を「免責」というが、この免責は破産すれば絶対に得られるというものではない。
つまり破産したからといって必ずしも負債が無くなるわけではなく、いつまでも支払義務を負い続けるということもある。
この免責が下りないケースとしてよくあるのが、本件のような不法行為による債務や、後述する税金の債務だ。
他にも参考としては、借金を返しきれないことがわかっている状況で一時的に取り立てを免れる意図でクレジットカードで金券などを大量に買い物をして、これを換金して返済に充てていた場合などがある。

このように、本件では債務を背負った原因が不法行為によるので、破産しようとしても免責を得られない可能性が高い。
結局、返還義務は全額(+損害賠償分)を履行しない限りいつまでも残り続けることになる。

さらに税金の問題も上乗せされる。
俺は税金には詳しくないのであまり断定的なことは書けないけど、誤振込されたお金は雑所得ということになって、所得税が課されるようだ。
所得税が課されるということは、所得額をもとに算定される住民税、国民健康保険料、年金などの負担が、一時的にT氏の本来の負担可能額を大きく超えるほど跳ね上がるということになる。
税金を支払えない場合の取り立ては厳しいし、国民健康保険料が払えない場合は高額の医療費負担となるために、うっかりケガや病気でもしようものなら大惨事だ。
これらの支払義務を負って生きることは、生活コストが他人よりもかなり高くつくということになる。
また、銀行口座に入れたお金も差し押さえられてしまうため、銀行を利用することができないので、オンライン決済の類は実質的に機能しないも同然で、これもまた生活コストの増大につながる。
なんとか隠し口座を作って利用できたとしても、隠し通すことのコストや労力は馬鹿にならない。
こういったコストの増大が積み重なれば、振込金の持ち逃げに成功したとしても、至る所で損失となって、結局は何も得るものは無いどころか差し引きで大損ということになる。

というわけで、この先どう転んでもT氏の逃げ得になる可能性は極めて低いと考えられる。

その他、刑法256条には盗品譲受け等の罪というのがあって、ざっくり説明すると、犯罪で得たものだとわかっているお金や財物を譲り受けた人は、この罪に該当することになる。
だからT氏から売買取引で支払いを受けたり贈与を受けることもリスクになるので、世間でまともに買い物をするのも難しくなる。
さすがにこの罪が成立する場面は多くないにしても、それでもリスクがないわけではないので、これもまた生活コストの増大と言える。
また、T氏から金銭や財物を受け取った際に、それを受け取ってT氏が財産を減らす行為であってそれが阿武町への返済の障害になることを認識していた場合、詐害行為取消(民法424条)による請求を受ける可能性がある。
とにかくT氏が何をやっても色々なリスクが発生することになるので、普通の生活をすることが困難になる。
T氏と関わることがリスクでしかない。
そしてT氏についている弁護士だが、誤振込の件を知って財産隠しの方法をアドバイスしていたりすると、電子計算機使用詐欺罪の幇助罪や、盗品譲受け等の罪に当たる可能性がある。
弁護士が無償でこんな仕事をするわけがなく、報酬の支払いを受けられる目処を立てて擁護しているのであろうから、何らかの罪となったり、損害賠償責任を負うことになる可能性が考えられる。
ついでに言うと、こういう場合は所属弁護士会から懲戒処分を受けることになるので、直接的なこと以外でも弁護士もただでは済まない可能性がある。

4630万円という金に目がくらんでしまうのも無理はないのかもしれないが、無知だったからといって許されるわけでもないし、その後のことも想像せずに逃げ得しようと考えても甘いことだ。
世の中そんなにウマい話なんて無い。

阿武町に関しては、担当者や担当部署の責任は内部的な規律なので、処分をするのかどうかは阿武町次第ということになる。
これに関しては、一部に誤振込をした担当者が悪いのだから、T氏に責任は無いなどと主張するアホをたまに見かけることがあるが、これはあり得ない。
誤振込されたこと自体にT氏の責任は無いとしてもそこまでで、誤振込された金を引き出したことは、100%でT氏が悪い。
誤振込したことに阿武町側の責任があるからといって、その金を返さなくても良いという道理などどこにもない。
T氏はおとなしく返金に応じていた場合に、せいぜい「手続きに無駄な手間と時間を取らせてやがって迷惑だ謝れ」と言えるくらいのものだ。

本件は誤送金が発覚したときに何事も無く返金してもらえれば回収費用などは発生しないで済むとか、とにかくなんとかしようとして焦って行動してしまったことが事態を悪化させてしまった。
安全に返金を求めるならば、T氏に知らせる前に裁判所に申し立てて、銀行口座に仮差押えをかけておくべきだった。
仮差押えは申し立ててから数日から1週間程度の短期間で発令される。
仮差押えをかけておけば、返還を拒まれても、民事訴訟を提起して債務名義を得れば、仮差押えを通常の差押えに移行することができて、確実にお金を取り戻すことができたはずだった。
ただ、仮差押えの申立てには、債権額の0.4%の手数料(本件では18万5200円)がかかるし、別途、一時的とはいえ供託金も求められる。
さらに申立てするのに弁護士に依頼すれば報酬が発生するうえ、訴訟になれば訴訟費用もかかる。
せめて手続きを延期すると言われた時点ですぐに仮差押えに動いていれば良かった。
少しは引き出されてしまうかもしれないが、それでも大部分は保全できたはずだ。

自治体の多くは訴訟を提起するために議会の議決を必要とすることが多いと思われるが、この事件をきっかけとして、同様の事態に対応するための内規を整備するところが増えるだろう。
特に今はコロナで支援金などの振り込み件数が増えているはずなので、同じようなミスが発生する可能性は十分に考えられる。
もちろん、ミスが発生するリスクを軽減するために、振り込みをする際の手続きの手順を厳格化するなどの見直しが図られることになるだろう。
全国の自治体の職員は今頃めんどくせえなあと思っているに違いない。


これだけの文章をろくに推敲もせずに一気に書き上げたから変なところがあるかもしれないけど許してね。

14:46 05/19
ちょっとだけ手直ししました。

18:11 /05/19 追記
思ったよりもたくさんの人に読んでいただいているようでありがたいです。
急いで書き上げないと情報の鮮度が落ちると思って勢いで書いたのと、わかりやすく伝わりやすい表現にしようとして、もしかしたら意図しない伝わり方になっているかもしれないです。
細かくて書き切れなかったこともたくさんあります。
この記事全体としては、可能性について予想しているので、必ずしも書いた通りにならないこともあります。
実際にどういう手続きで解決を図るのかは、正確な情報を持っている当事者が決めることだからです。
回収可能性についても、取り得る手続きとは別問題としていますが、このあたりは回収費用などの問題で効果があがらない場合、回収をあきらめることもあるかもしれません。
この記事で伝えたかったことは、回収が成功するかしないかにかかわらず、T氏は今後の人生がハードモードになって、逃げ得にはならないということです。
このあたり最初に書いておけば良かったな……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?