【うちの子創作-A003】その目覚め、幽月灯りて。

 凄惨、という言葉の意味は知られているが、それは果たしてどの程度の状況を想定してつくられたものだろう。
 人が己の身一つで戦った時代、いくさの終わりに残された死体の山か。
 歴史に語られるほどの災禍が通り過ぎた後の大地の様子か。
 はたまた、神話に残された神同士が相争う大戦争か。

 オーグリード大陸の人気のない山奥。
 今、この地はそのような比較対象を拒むほどの有り様だった。

 人が死んでいた。
 オーガが、ウェディが、ドワーフが、エルフが、プクリポが死んでいた。
 あるものは元の種族すらわからぬほど細切れにされ、あるものは腹ワタを晒して裂かれ、あるものは半身を炭へと焦がして事切れていた。
 一様に絶望の表情と無念の表情を残して、あるいは形ではなく空気を悲しみと怒りに染めて、一様にその場へ骸を晒していた。

 魔物が死んでいた。
 あるものは殴打されその原型を留めぬ肉塊となり、あるものは地面に影のみを残して焼付き、あるものは血反吐とも体液とも区別のつかぬ姿へと押し潰された。
 その多くはじわじわと魔瘴へと還元され、その地の空気をドス黒く淀ませた。それでもなお、消えきれぬ怨嗟と共に死骸は大地に打ち捨てられていた。

 地面は抉れ、木々は捩じ切れ、あちこちで上がった火の手が煙を立てた。
 焦げた肉の、撒き散らされた臓腑と排泄物の、高温で焼け溶けた金具の齎す、絶望的な腐臭。
 
 死の充満する大地。
 この世の負の想念が凝縮したような、凄惨を超えた……無惨な光景。

 その中にあって、ただひとり――

「あは♪ あは♪」

 その様子を、喜びとともに睥睨する影があった。

「いいねいいねえ! まさに『蠱毒』って感じだよ!
 これでまた一歩、あのお方の復活に近づけたんじゃなーい?」

 影は、道化師の姿をしている。
 彼は心の底からの歓喜を以て、この地獄を悠然と闊歩していた。
 まるで「自分のプロデュースした公演が上首尾に終わった」とでも言わんばかりに、得意げな表情で。

「しっかし、今回はちょーっと手間がかかったね。
 やっぱ、自分で直接スカウトするのは面倒くさいなー。
 人材を集める係は、もっと別のやつにやらせることに……」

 そう独りごちる道化師の後ろで、ゆらりと立ち上がる者がいた。

 大柄な体躯。振り乱された黒髪。左腕はだらりと下がり、右手に柄の折れたヤリを握りしめていた。
 戦いでボロボロになったであろう武具、その下の肉体に刻まれたおびただしい数の裂傷と打撲。おそらく骨も折れ、失血によるものか顔色も悪い。
 だが、荒い息遣いの奥にある、その身に充満する怒りと恨みを覆い隠そうともしない表情。それはまるで、手負いの獣のような。

 瞬間、男は道化師へ向かって走り出す。

「だらぁぁぁぁぁっ!!!」

 そして、その手のヤリが道化師の脳天を突き刺そうとしたその瞬間――

「おめでとう♪ ユー・アー・ザ・チャンピオーン♪」

 男の身体は、飛びかかってきた方向の真反対へと弾き飛ばされる。
 大地の上を数度跳ね、転がり、その場に倒れ伏した男の身体は……それでもなお、ガクガクと痙攣していた。まるで、再び立ち上がろうとでもいうかのように。
 地面に横たわったまま必死で足掻く男にのんびりと近寄った道化師は、その脳天を躊躇いなく踏みつける。

「んー、オーガの男かぁ。やっぱ出自といい、オーガって種族はこういうのに『向いてる』のかねぇ。
 それに引き替え、同族たちの頼りないことったら!もうちょっとガッツを見せなよチミたちぃ!
 よーし、じゃあ最後の仕上げ、いってみよー♪」

 男を踏みつけた道化師は、そのまま両手を空に向かって掲げた。

 途端、その地に満ちていた負の想念が渦を巻く。
 死体という死体からドス黒い影が引き抜かれてゆき、次の瞬間にはまるで砂か何かのように崩れ落ちていった。
 魔物の死骸も同様に崩壊してゆく。それはそのまま魔瘴へと還り大気をドス黒く染め上げ、暴風を巻き起こした。
 戦場からかき集められたそれらの負のエネルギーは、道化師の頭上の一点に収束してゆく。
 その有様を確認した道化師は、踏みつけた男に向かってニヤリと微笑んだ。

「よーし、これがキミの……チャンピオンベルトだー!」

 道化師がそう叫んで腕を振り下ろした途端、空中に収束した漆黒の塊が男を貫く。
 一個の生命が受けきれるわけもない、莫大なそのエネルギーに男の体は仰け反り、のたうち回った。
 黒かった髪はその色を失い、裂傷からはさらに血が吹き出し、ボロボロだった武具はその暴威に負けたかのように砕け散る。
 そして……男はその動きを、完全に止めた。

 傍らに、小さな白い塊を溢れ落として。

「ぃよーっし!! 新しい戦禍のタネ、ゲットぉー!!」

 その種を拾い上げた道化師は、嬉しそうな表情のままステップを踏み始めた。
 最後に残った男の死骸以外は何もかもきれいさっぱり消え去り、焼け焦げた草木が散らばるだけの荒れ地で、道化師はひとり嗤い、踊り狂う。

 やがて踊り疲れた道化師は、傍らに玉乗りの大玉を取り出した。
 その大玉は空中へふわりと浮かび上がり、道化師はそれにがっしりと捕まる。

「んんー、とりあえず今日は祝杯だね!
 次の作戦を考えるのは明日明日!さーて、お疲れさまでした!」

 そして道化師は、玉に乗って飛び去っていく。
 その地で何があったのかを物語るよすがは、男の死骸だけだった。

 そして、道化師が飛び去ってから、ほんのしばらく後。

 はるかな天空から一つのか細い光の玉が、その地にふわりと降り立った。
 その玉は力なく漂いながら、やがて男の死骸のそばで静止する。

 何かを確かめるかのように逡巡した玉は、ゆっくりと男の死骸に触れた。
 その瞬間、淡い光が男を包み――

 男は、ふたたび目を開けた。

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