高2の頃、脳出血でぶっ倒れたゆでたまご。


今日もゆでたまごをゆで始めようかと思う。
(追記:深刻そうに書いてるが、
今はほんとになんともないので笑って読んでくれたら嬉しい)

実は昔、お医者さんに言われたことがある。
「このことは将来のお嫁さんとそのご家族の方には
自分でちゃんと話したほうがいいかもしれません」と。

田浦は高校2年生のときに「脳出血」で
緊急入院からの1ヶ月間ICUからのたくさんの教授が見守る中、大手術を受けたことがある。

おらは「動静脈瘤」という300万人に1人の症例だった。
大分県が3つあっても足りない人数である。


動静脈瘤は、
脳みその中の動脈と静脈が生まれつきくっついている病気で
動脈という心臓から体の各所にいく太い血管が、
体の各所から心臓に帰ってくる細い血管にくっついているせいで
細い血管にも心臓からの強い血液が流れ込み、静脈がぶどうみたいに瘤を作り、破裂するというものだった。

大学の飲み会でチャラい奴らが真面目な子に絡みすぎたせいで
真面目な子ががブチ切れる現象とほぼ一致する。
それがおらの脳みそで行われていたらしい。
オンライン飲み会ならぬ、脳内飲み会である。

後遺症は奇跡的にほぼなかった。
視野が少し減った(中心より左上の視野が消えている)のと、チャラくなったのと、馬鹿に見えてしまうようにになってしまったのが唯一の後遺症である。

もともと偏頭痛持ちで日常的に割れるような頭痛を抱えていたのだが、
高2の夜中にそれが破裂した。

視界が全てぼやけ、右目が取れるくらい痛くて嘔吐しまくった。
超絶頭痛の中、「これは右目が取れる!」と確信したぼくは、右目の下にコップを置いてもし、右目が取れてもコップに入るように構えていた。冗談みたいなマジな話。そのころ図書館で唯一ある漫画ブラックジャックを読んでいて(もう一つあるのははだしのゲン)もし、腕や目が取れても、現物さえあればまたつけてもらえることを知っていたからだ。(ホンキで思ってた)

朝まで我慢し、病院に行くと「これはやばい」ってなって救急車で大手の病院へ。

そこからICUに1ヵ月入院し、手術。
おらの病気は若い人だと珍しいらしく、各界の教授やら医者やらが大勢見に来ていたらしい。
ぼくの脳から取られた奇形の血管はどこかのだれかの論文に載っているとか。

そこから2ヶ月のリハビリ生活を経て無事退院。
最初は起き上がることもできないし、後遺症の視野の狭さや、フラッシュバック的なのも相まってなかなかリハビリに時間がかかったように記憶している。


高校に戻り、退院後初の体育の授業でも、もちろんベンチでみんなのサッカーを見ていたのだが、どうしてもやりたくなって、体育の怖い先生に
「僕はみんなと4ヶ月ほど離れていた。みんなとの心の距離が離れるのは悲しい。走ったりも何もしないからみんなとサッカーをやらせてほしい」と涙ながら懇願し、出場後5分でダイビングヘッドシュートを決めて、親まで呼び出され、先生にこっぴどく怒られたこともある。
まぁそれくらい元気だったってことだな。


話を戻すと、どうやら僕は「てんかん」が出る確率が人より多いらしい。
(てんかんは急に発作が起きて泡吹いて倒れるみたいなやつ)
頭をドリルで開けて、脳みそを弄り倒し、蓋をしてるんだからそれくらいあるだろう。
だから高いとこに登ったりしたらだめだよーって言われた。
そのことを将来のお嫁さんや家族には話すようにと言われたような気がする。
毎年行かなければいけない検診も8年は行ってないからわからんが。
それをふとさっき思い出した。だから家族に共有!
まぁでももうさすがに大丈夫だとは思うがね!

入院は辛いこともあったけど
おもしろいことや初めての経験がたくさんあったメモリアルな事件となった。
その話も今後していきたい。

そんなこんなでゆでたまご!




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