さみしくはないが不便




これはLaff+の常連だった東の言葉だ。
先日大分に帰って昔のお店の常連とキャンプをした。
僕らが作ったリアルDash村「あたらよ」で。

昼からバーベキューと焚き火をして、夜になるこくろにはすっかり気持ちよくなっちゃった。

そのときに僕がみんなに聞いた。
「Laff+(以前僕がやっていた店の名前)がなくなってさみしいかい?
その後に返ってきたのがこの言葉だ。
「寂しくなはいけど不便」
僕はこの言葉を聞いてすごく嬉しくなった。

それはもう日々のルーティーンに、
君の人生の一部に、
君自信の一部に
うちの店がなれていたということなのではないのか。

「ただいま」が言えるBarとしてやってきた。
この世の中の孤独という病を救えるのは飲食店だと信じて。
村とBarをつなげる次世代モデルの飲食店を作ってきた。
飲食店の枠を少し広げて、作るところから一緒に食べるところまでをデザインした。
常連を超えて家族になれるように、共に村を作る共に暮らしてみることをしてきた。

そんな僕のお店を今まで「失敗した」と思っていた。
失敗までは行かなくても「成功はできなかった」と思っている。

そのために悔しくて東京に来た。
自分を修行するために。

でも東京の色んな飲食店を見て、
大分を離れて、自分の店を客観的に見ることができて
実は以外に頑張ってたじゃんと思えるようになった。

君がいなくなっても寂しくないよ。
ただ、話を聞いてくれる人がいないから不便だな。

そんな気恥ずかしさと、いじりと本音が混ざったような言葉を何度思い出すだろうか。


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