医療コミュニケーション・女好き?医術の徒…悦楽と苦悩

2022年8月。コロナ感染症・ウクライナ紛争。

泥々に澱んだ(よどんだ)沼を私達は果てしなく進む。

「J-pop」は世界のこと等いさ知らず…

菅原圭は「♫8月32日」のフィクションを唄い、野田愛実は、まだまだ遥か先の「♫冬恋」を唄う。

私の病室3階から遠く見遣る、新宿上空高層ビルの上空には、美しい青空がどこ迄もどこ迄も広がっていた。

大きな大きな社会のダイナミズムの中で、

私は地味で細々とした、そして決して陽の当たる場所では無い、ココ(精神科の閉鎖病棟)での入院生活を送っていた。

潤いが欲しい。色艶が欲しい。そして一筋の希望が欲しい。…私は思った。

8月11日のお昼。恐怖の午後であった💧💧💧。

「キャー!!。♡」

彼女は絶叫した。病棟隅でメランコリー調に、床に腰を下ろしている彼女に、

私が精一杯のジェントルマン対応で話し掛けた時だった。

私は彼女へプレゼントを渡そうとしていた。

プレゼント…。

「眠れなくなるほど面白い自律神経の本」…コンビニ・ムック(:雑誌、書籍の混成本)。

この本を紹介すれば、きっと喜んで貰えると私は喜び勇んでA4用紙10枚程に、内容をまとめた。

それをプレゼントしようとした矢先の出来事だった。

そんな彼女…Bさん。

離婚係争中???。アラフォー。3人姉妹の、とても明るくて社交的な女性だった。

彼女は腕利きのナースであったであろう。

私は最初に、解離性健忘症(解離:感覚の一部が失われた状態)を疑った。

(著者注…後にこの判断は吉田の大きな勘違いであることが判明します。吉田大いに恥いる💧。)

この精神症候は、アガサ・クリスティとの関連で、割と世にもよく知られている。

アガサは1926年、当時36歳。その時に失踪事件を起こす。

原因は軍人である旦那との夫婦間トラブルであった。

彼女は「愛の危機」による精神的ショックのため、記憶障害を起こす。

私は「アガサ」と「私の今間近に存在する患者B」に、随分とドラマチックな関連性を見出してしまった。

①、過酷な家事、育児ストレスであったであろうという吉田の思い入れ。②、彼女のただならぬ様子で、一心不乱に作業治療(塗り絵アート)に取り組む姿。③、そして8月11日のあの時見せた、夢遊病患者の様な恍惚とした表情。

私は紛れもなく。❶、彼女は病んでいることを。❷、そして私にも出来ることは無いか。…私は思考を巡らせた。

しかし私にはなす術がない。途方に暮れる。

私の個室・病室では、ホールからの気のいい患者仲間たちの騒ぐ声が聞こえる。

その時、私の担当ドクターが病室を訪ねて来た。

40代、50代位の、ちっちゃくてパワフルな、最高に愛狂おしい女医先生だった。

吉田は失意の中、謝るしかなかった。

「先生本当にすみません。患者のBさんとトラブルを起こしてしまって。」

「いいんです。学習してください」。淡々と厳しい…。

先生は続けた。

「医療(患者の診察・治療)は、科学的な知識だけでは成立しないんです。医療という実践的サービス。それを成立させる為には、もっと大切なもの…患者側と医療者側の対人関係があるのです。」

「コミュニケーション…つまり私に男としての魅力が無ければ、女性患者、特に若い魅力的?な女性との医療は成立せずに、つまりその時私は医術の徒、失格になるということですか?。」

「吉田さんは知識偏重にあります。もっと情緒的(:感情を抱かせる特殊な性質)で良いんです。」

私は聴き入る…。

「患者さんは有益な情報よりも、まずは病の苦しみに対して共感感情を持って欲しいと思っているかも知れないのです。」

〜〜〜

先生の紹介で、書籍「精神科・研修医ノート」を購入してからの、この2ヶ月間の入院期間。私は精神医療・臨床心理学の本の入り口を眺めさせて頂いた。兎に角…興味深くエキサイティングな毎日だった。

ままごとレベルを超えない私の精神科の先生ごっこは、

彼女(:Bさん)と向き合うというきっかけによって、私の中にあった「恐怖」と「希望」が、新たに更新された。

それは私の医術ミッションが不特定多数の第三者にクソミソになじられる恐怖。

そしてもう一つが、私医術ミッションに幾らかの負荷とテンションが加わることによって、

その任務の充実…乳液で潤う肌のハリ感の様な「希望」が生まれたことである。

医学の可能性…まだまだ未知なことへの学術的研究も、そんな恐怖と希望の錯綜の只中で生まれていく。

                 了

♫「乙女解剖」/りぶ

Bさん…私たちはFBで繋がっています。辛い時は連絡してね❣️。

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