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坂の途中

東海道線に乗りながらnoteを書いているとどうも長距離通勤の不慣れさ(たまに楽しみ)ばかりが出てしまう。そういう今も東海道線の中なのだが、仕方ない…、1時間半も乗っているんだから、この時間を楽しくするためにnote始めたんだし。今日は湯河原ライフのちょっとしたいいこと書こう。

東京に暮らしていた頃から、その土地、部屋の大きさに関わらず、‘家愛’が強い私は何の予定も作らず家に籠りがちで、かといって、家の中でボーッとする訳でもなく、こちょこちょ動きまわってると、あぁ、もう日が暮れてる。そして、その日初めて靴を履き、コンビニかスーパーに買い物しに外に出る…といった週末だった。湯河原でもスタイルは変わらないが、現在、近くのコンビニは急坂を下って10分強、帰りはその急坂を登って15分はかかる。コンビニに行くのはかなり勇気がいるのだ。車で行けば何の不自由もないのだが、コンビニは歩いて行く処のような気もするし、コンビニまでの急坂が何かしら私の健康バロメーターになっていて、コンビニ程度で済む買い物なら、体力測定がてら徒歩で行くのが自分のルールになった。

昨日は天気予報が外れ、日中は陽差しもあって夕暮れ時いい気候になったので、気晴らしにコンビニに行った。買いたいモノなかったけど、久々の体力測定だ。炭酸水2本とスナック。今夜なくても困らない、でもいつかは欲しくなるモノを買って、家に帰る坂を上る。途中一ヶ所たりとも平坦な場所はない。ただその傾度が上ったり下がったりするだけのひたすら登り坂だ。開けっぴろげな豆腐屋の前を通り過ぎると心臓破りの坂が始まる。下りの時は自分の足がどんどん進むのに、登りは重力に押し返えされているようで前に進まない。でも足を止めたら次の一歩が億劫になりそうで、ただただ前のめりに黙々と足を出す。

ほぼ車しか通らないこの急坂を歩いている人は私も含めてかなり珍しいせいか、ここで人とすれ違うと自然に挨拶をしてくれるのがいい。少しだけ自分がこの町に溶け込めたような、ほんのりやさしい気分になる。登山中に人とすれ違うと、全くの他人でも「同志」的親近感を覚えて、何気に「こんにちは」と声をかけるのと同じかもしれない。昨日は30代ぐらいの青年に挨拶をされた。向こうは下り坂。軽やかな「こんにちは」だった。私は登り坂。久々の体力測定で脚力の衰えを認めながら、「…こんちはぁ」と、ゼイゼイしているのを見破られないよう精一杯返し、平気な振りして速度を落とさずさっさと道を登った。が、やっぱり息が続かない。もう休憩しよ、と、彼の姿が見えなくなったところで、買ってきた炭酸水のキャップを開けると、シュワっとした音が響いて、青年が音の方を見上げ、再び目が合ってしまい、何故か私は山の景色が眺めたかった素振りをして、また普通を装った(笑)。

でもその時に見えた夕日と紫陽花は映画のワンシーンのようで、それは本当に美しかった。

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