地獄の番犬

鬱蒼と生い茂る木々が陰惨な影を落としていた。蠢くものは荒涼たる風に踊らされる木の葉のみ。それもそのはず、此処に生者はいない。此処は泉下、亡者の世界。地獄の入口だ。
俺は常に此処に在る。永久に睥睨し、永劫に監視する。
俺は地獄の番犬、ケルベロスだ。俺の役目は唯一つ。ここを通る者を食い殺すことだけだ。例外はない。聖人だろうと悪人だろうと、男だろうと女だろうと、子供だろうと老人だろうと、処女だろうと売女だろうと、無慈悲に無遠慮に無作為に無感動に殺す。それが俺の存在理由。食い殺すことだけが俺に課せられた使命。殺戮こそが俺の本能――
「お、おい!」
誰だ?
振り向くと、驚くじゃないか。そこには生者がいた。若い男だ。決死の覚悟が眉宇に滲んでいる。
「そ、そこをどけ!」
男は剣を構えていた。剣先が震えている。いや、震えているのは手足だ。男は恐怖していた。だが、それでいてなお敢然としている。
「立ち去れ。此処はお前のような生者が来るところではない」
「い、いやだ! 僕はオフェーリアを取り返す! 絶対だ!」
男は踵を返すどころか必至の決意を宣った。
「オフェーリア?」
「僕の愛しき人の名だ!」
「つい最近聞いた名だな……うむ、思い出したわ。神父殺しの大罪人ではないか」
「違うっ!」
「何が違う。地上の司法は騙せても、地獄の審判は欺けん。そのオフェーリアという娘が地獄にいるということは、間違いなく神父殺しの罪人だ」
「こ、殺したのは事実だ! で、でもそれは正義の為だ! あの神父は聖人の皮を被った悪魔だ。引き取った孤児を己の慰みものにしていた。役人に訴えても相手にしてくれない。だから彼女は自らその清廉な手を汚したんだ。彼女は悪を滅ぼしただけだ。何故に火あぶりにならなければいけなかったんだ! 何故にその上で地獄に落とされなければならんのだ!」
男は涙ながらに慨嘆した。いや、慟哭した。
「フッ」俺は笑った。「青いな」
「な、なんだと!」
「いいか、地上だろうと地下だろうと、この世界は不条理に出来ている。お前は昨日今日生まれた子供じゃあるまいし、今まで何を見てきたのだ」
「そんなことはわかってる!」男は叫んだ。「それでもオフェーリアは取り戻す。世界が不条理だというならば、僕も暴力という不条理で彼女を取り戻してみせる!」血が滲むような絶叫だった。
俺は男に背を向けた。「行け」
「え?」
「俺は何も見なかった……そういうことだ」
「ケルベロス……」
「さあ」
背中を男が駆け抜ける。すれ違いざま、「ありがとう」と言う言葉が聞こえてきた――カシャッ、カシャッカシャッ、カシャッ。
ビクッ!
「て、敵襲っ! 敵襲ですよっ! だ、誰かっ!」

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