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すずめの戸締まり感想(ネタバレあり)

映画「すずめの戸締まり」を見てきたので感想を殴り書きします。ネタバレ全開なので未試聴の人は注意。

まず主人公の鈴芽可愛いよ鈴芽。髪型や服装のバリエーションが多くて、どのタイミングの鈴芽が好きかでオタク同士が酒が飲める。

ストーリーとしては鈴芽の成長の物語で、これまでの新海誠作品と比較して丁寧に人物を描写していた気がする。「君の名は。」や「天気の子」の綺麗な映像と音楽を流しながらダイジェストでお送りするシーンがなく、鈴芽を中心とした登場人物達との交流が描かれており、丁寧な構成の作品だと思った。

そして草太が椅子になり、鈴芽と椅子のロードムービーになったのは完全に予想外。主人公の相棒が椅子!?と度肝を抜かれたが、3本脚で走る椅子がコミカルで面白く、本来は重いテーマを扱っている物語の空気を軽くしてくれていた。ダイジンの破天荒さや、芹澤のどこか軽薄な態度も、作品を重苦しくしない工夫だったように思える。

鈴芽は幼少期の3.11に震災に見舞われ大きなトラウマを抱えている。そして同時に叔母の環との間に確執もあり、芹澤曰く「闇が深い」。トラウマを象徴する幼少期の黒塗りのノートはかなりショッキングで正直エグいと思った。環との衝突と和解のシーンでは、環に「あんなの自分の本心じゃない」ではなく「あれが全部じゃない」と言わせたのは、人間の心の機微を絶妙なリアリティのラインで表現していた。

世界か恋人かを選ぶ「セカイ系」という意味では、「すずめの戸締まり」は「天気の子」と対照的だろう。「天気の子」は恋人を選ぶが、「すずめの戸締まり」で鈴芽は一度は世界を選ぶ。「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」の頃の新海誠であれば、鈴芽と草太は別れたまま終わっていたことだろう。その場合、恋人を失った鈴芽は闇を抱えたまま成長してくわけだが、そういう闇を抱えた女性が性癖だった新海誠は今や昔ということか。

閑話休題。

鈴芽と草太が再開してミミズを封じる時、大勢の人の「いってきます」「ただいま」「おかえりなさい」を聞いた。それは3.11でたくさん失われた当前の人の営みであり、今も世界中で続く営みでもある。3.11というある種デリケートなテーマを扱うにあたり、たくさんの「いってきます」を見せる表現には感服した。

この人の営みの尊さを訴えるシーンで、私は新劇場版エヴァで綾波が覚えた「おまじない(おはよう、おやすみ、さよなら、握手)」を連想した。ヒカリたち第三村に住む人達の営みを象徴する、綾波の「おまじない」は劇中でシンジが立ち直るための重要なファクターだった。守るべきものの象徴として、違う監督が違う手法で同じものを表現したのは中々に面白い。

総じて「すずめの戸締まり」はボーイミーツガールのお手本のような作品だった。ダイジェストを使わずに、出会い、冒険、別れ、再会、成長、そして季節は廻りOPと同じ場所で再会、という王道の物語を丁寧に描き切った。「君の名は。」公開時に一部で酷評されていた主人公達がお互いを好きになる理由がわからない、という批評は今回は的外れだろう。何しろ劇中にしっかりと過程が描かれている。

最後に新海誠作品と言えばRADWINPSの音楽も外せない。作品を桁違いの解像度で表現する歌は今回も健在。主題歌の「ナカタハルカ」の歌詞「あなたと見る絶望は あなた無しの希望など霞むほど輝くから」というフレーズが刺さりすぎて、上映後映画館の椅子の上でしばし放心してしまった。推しという文化が隆盛の今の時代、このフレーズに共感する人は多いのではなかろうか。

新海誠作品の映像美だけでなく、エンタメとしての楽しさ、扱っているテーマの普遍性、音楽との親和性、のバランスが非常に良い作品で、万人に勧めやすい作品だろう。もちろん3.11を想起させる以上、受け付けない人は一定数いるだろう。ただそうした人達にも、鈴芽の成長する姿を通じて、明日を生きるための何かが伝わって欲しいと、願わずにはいられない。

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