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cyAnos(YuNi)2nd single「Still it was so beautiful」のMV考察

2022年7月8日にリリースされたcyAnos(YuNi)の2nd single「Still it was so beautiful」のMVがシンプルな構成ながらも考察のしがいがあったので、私の解釈をつらつらと書いていきます。

MVに登場するのはたった一人の少女。その少女は最初黒い服を着ています。その瞳はこちら側をじっと見据えており、口は真一文字に閉じられていて、すべてを拒絶するような、かたくなな冷たい印象を与えます。この曲の歌詞には「辟易する」「届かないことくらい私知っている」「羨望の残滓」「憧憬の堅守」など、とても厭世的な言葉が散りばめられており、この少女の何物も寄せ付けまいとする姿は、歌詞を体現しているかのよう。

MVの中盤、少女は眠り落ちています。その周りには本や青い空を描いた絵具と画用紙が散らばっています。これらは少女が憧れている物たち、まさに羨望の残滓でしょう。そして手と足を縮めて身を折っているその姿勢は、母親の胎内にいる胎児のようにも見えます。それはこの後大きく変化する少女の、新たに生まれ変わることの暗喩に思えました。

MVの終盤、少女は白い服に身を包んでいます。これまで着ていたシンプルな黒い服ではなく、右足にバンドを巻き、左腕にアームカバーを着て、白いチョーカーと花飾りを付けた左右非対称な、これまでとは正反対の姿。少女が立っている場所も退廃的な廃墟から、清廉な青空を映す水面に。その表情はMVの最初に見た表情より幼く見え、目つきも柔らかくなっています。その瞳に宿るのは羨望の光かもしれません。何か言いたげに開いた口はどんな言葉を発するはずだったのか。

この少女の黒と白の衣装は、喪服と死に装束にも見えるため、YuNi氏が言う「ド・バラード」のどこか物悲しい空気を醸し出すのに一役買っています。

このMVに何度も登場する白い花は何の花か調べたところ「アネモネ」が一番近いような気がしました。白い「アネモネ」の花言葉は「真実」「期待」。「期待」を「羨望」と言い換えるなら、最初黒い少女の手の中に一輪だけあった「羨望の残滓」が、白い少女の花飾りと周囲に大輪の花を咲かせたのは、少女の中に抑圧されていた憧れがそれだけ大きかったという意味かもしれません。

この曲のYuNi氏の歌声は、徹底して感情が抑えられています。そのことが逆に、羨望の残滓に強く焦がれる少女の心境を表現できているように感じます。少女が白くなった後のラスサビで、それまで抑えていた感情を爆発させるような歌い方をすれば、大きなカタルシスを得られるかもしれませんが、この曲はそういうストーリーではないのでしょう。なぜなら「私知っている幻なんだと」と歌われているから。すべては少女が見た泡沫の夢。最後までどこか陰のある歌声は、わかりやすいハッピーエンドではないことを物語っています。

MVの途中、少女の瞳が真っ白になる瞬間が2回あります。おそらくそれが少女の夢の始まりと夢の終わりを指しているのでしょう。

cyAnosのTwitterに書かれていた「This is part of my life.(これは私の人生の一部です。)」を素直に受け取ると、この歌がYuNi氏の人生の暗喩であることになります。曲のタイトルの「Still it was so beautiful」は曲中の歌詞に「それでもとても綺麗でした。」という形で登場します。少女は「絵具みたいに安い匂いのする夢」に辟易しながらも、その夢への羨望を捨てることができなかった。むしろ自身の姿と裏腹な白い衣装と花に囲まれた幻を見るくらいに、その夢に焦がれています。

夢なんて幻だと分かっていても憧れることをやめられない、そんな誰しもが持つ葛藤を表現した歌のように私は感じました。cyAnosが誕生した経緯を考えると、この歌に込められた葛藤もYuNi氏の一部なんだと腑に落ちます。どこか陰を帯びたcyAnosの歌は、これまでのYuNi氏の活動コンセプトと差別化できており、彼女の新しい一面を垣間見ているように感じます。cyAnosが次どんな新しい楽曲を見せてくれるのか今後も目が離せません。

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