死を覚悟した僕の内に訪れたもの : 航空機エンジン事故のさなかで
※ 以下、僕が体験した、"自分の精神の不思議なはたらき" を、鮮度そのままに真空パックしておきたくて書いてみるエッセイです。将来子どもに、もしくは未来の自分に、見せるようなつもりで。
昨日の2020年12月4日、お昼前。僕を含む乗客178人を乗せた飛行機が那覇空港を飛び立った。その離陸間もなくのこと。
ズゴゴゴゴ――――んん!!!!!
突如、天を裂くような凄まじい衝撃音。機内はガタガタと激しい揺れに襲われ、なんと左翼のエンジンがオレンジ色の火を噴いた。
緊急のアラーム。揺れ続ける機体。乗客に広がる動揺。「落ち着いて」と告げるCAの声も震えている。
「ああ、死ぬんだ」
一瞬にして僕は死を覚悟した。この上空の機体の中で、自分にできることなど何もない。
逃げ場のない恐怖にバクつく心臓。全身の毛穴から吹き出す汗。目の前の景色がぐにゃぐにゃし出したのは、きっと機体の揺れのせいだけじゃない。
「自分の人生は、ここで終わるんだ、まじで」
死にたくない、と騒ぎ出したい自分。
本当に死ぬんだ、と静かに絶望を受け入れはじめている自分。
その二人を抱きしめるように、僕は目を閉じ、両手をぎゅっと合わせることしかできなかった。
たくさんの色で塗り潰されて真っ黒になったキャンバスのように、色んな感情でいっぱいになった僕の心は、騒がしさを越えて静寂とも言える感覚に入っていく。
死を目前に覚悟したとき、人は何を思うだろう。
「あれもしたかったな、これもしたかったな」
そんな後悔に包まれるものなのだろう。そう思っていた。
しかし、僕の胸に現れたのは、予想だにしない言葉だった。
「愛してる」
死を覚悟した絶望の静けさの奥から、湧いてきたのは愛する人たちの顔だった。
なんということだろう。自分でも驚きながら、気づくと僕は、現れる一人ひとりの顔に
「愛してる、愛してる、愛してる」
と念仏のように、必死に必死に唱えていた。
したくてしてる、わけじゃない。自分の意志など越えて、湧くことを止めない透明な言葉。
ああ、人間の精神とは、この地上を去ると覚悟したその時に、おのずと愛する者への祈りに貫かれてしまうものなのだ。そう思った。まるでそれが、魂の地上最期の務めであるかのように。
どれくらいの時間が経ったのだろう。とめどなく湧き出る愛と祈りに、必死に身を委ねていると、機長からのアナウンスが鳴り響く。
「エンジンの破損が判明しましたが、翼に損傷がないことを確認しました」
「これより空港に引き返します」
その刹那、ふっと目が覚めたようにそれまでの感覚が消えていった。
そこからはあっという間だった。コクピットの冷静かつ、素晴らしい操縦テクニックで、機体は激しく揺れながらもするすると降下を続け、無事に空港に着陸。
機内を満たす安堵の声。抱き合う乗客たち。
僕は夢を見ていたのだろうか。
それとも今生きていることが夢なのか。
胸に残る熱くてまあるい何かを感じながら、ふらついた足取りで滑走路の固い地面を踏みしめた。
本人撮影
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