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【佐渡金山】佐渡鉱山で働いた金鐘元氏と林泰鎬氏の意外な関係

金鐘元(キム・ジョンウォン)氏

韓国メディアにしばしば佐渡鉱山労働者の遺族として登場するキム・グァンソン氏と言う方がいます。この方は佐渡で生まれました。

中央日報:韓国の佐渡金山遺族「最後まで登録に反対するのは道理でない…追悼式には出席希望」 2024.08.08

記事中には「強制徴用」だの「強制労役」だのといった言葉が出てきますが、「金を稼げるという話を聞いて1940年に忠清南道論山(ノンサン)から佐渡鉱山に徴用された。」と書かれており、1940年はまだ企業が直接募集していた時期で、また、息子のキム・グァンソン氏も「強制かどうかをあえて問いただしてどうするのか」と言っているので、父親が応募工という事は知っている模様です。但し、取材では必ず「父は血を吐いて逝った」と、石肺だったという事を強調しています。

JTBC:"피 토하고 가신 아버지…일본에 좋은 것만 쓰면 그게 역사인가" / JTBC 뉴스룸
2022/01/06
https://youtu.be/YS_OLYSSvyU?si=molbGJmyYzKmzlu5
▲キム・グァンソン氏の母と父の遺影


林泰鎬氏

ところで、意外な所でキム・グァンソン氏の母の若い時の写真を見つかりました。

右側の写真の持ち主は朴順任(パク・スニ)氏といい、終戦間際に佐渡から夫と共に逃げ出し、川崎にやってきた女性です。

彼女の夫は林泰鎬氏といい、扉絵の人物(右)です。

平林泰鎬と名乗っていたらしい

林泰鎬氏の故郷は忠清南道論山、キム・グァンソン氏の父も忠清南道論山から ”徴用” されたので、同郷のようです。

下は朴順任氏について書かれた『毎日新聞』の記事です。「1940年に夫が佐渡に渡った。... 翌41年、朴さんら妻子は佐渡に呼び寄せられた」と書かれています。

朴さんの口述を纏めた報告書にはキム・グァンソンさんの母と一緒に映った写真があり、佐渡の飯場で一緒に働いたと書かれています。住んでいたのは二間の朝鮮人用住宅。つまり、金鐘元氏夫婦と林泰鎬氏夫婦は夫婦それぞれ一緒に佐渡に来て近所に住んでいたと言うわけです。そこで、キム・グァンソン氏も生まれました。

妻達の集合写真の右下には「Yamaguchi/ヤマグチ」と印刷されており、佐渡相川のヤマグチ写真館で撮影したと思われます。

なお、逃げてきた川崎では朴順任さん一家はスクラップ屋を営んだということですが、この辺りは当時も今もコリアンが多く住んでいます。
1947年、在日コリアンの密造酒を摘発しようとした川崎税務署の職員が、駅で待ち伏せをされ殉職しています。〔神奈川税務署員殉職事件 〕



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