パート3

テレビ局各局で六代目の追悼放送してますが私もチラッと映ってましたね、笑点で行われた円楽襲名披露でメンバーの後ろで立ってる12年前の私が見切れてます、Facebookに載せてあるので見てください、さて入門以来仕事が無い土曜日は笑点の収録に行ってました、五代目が司会やってたので自主的にお手伝い…というか楽屋の差し入れを食べに行ってましたね、その時六代目から「どこでも顔出すのも大事だよ、顔覚えてもらいなよ」って言われました、目的はどうあれ行ける時は行ってました、一番美味しかった差し入れはクリスピークリームドーナツでしたね、誰も食べないので箱ごと持ち帰りました、感激した差し入れは浅丘ルリ子さんからのお寿司!格別な味でした!、しばらく行ってないので機会があったらまた行きたいです。暮れになると東砂町の師匠のお宅大掃除に毎年行ってました、私はいつも外の車庫担当、寒いので終わってから毎回お風呂に入ってあったまってました、師匠のお宅のお風呂でくつろいでいたのは私だけだと思います、そのあと皆さんですき焼きやったり飲み食いしてましたね、兄弟子には安い肉食わして私ら前座は山形牛をこっそりと食べてました、後でバレで今だにチクチク言われす(笑)あの頃が入門して一番楽しかった時期ですね、もう行く機会がないかと思うと寂しいです。一度だけ大間町に来てもらった事があります、私が二つ目に昇進した時に好楽、円橘、楽太郎の各師匠方、右脚の手術前でまともに歩けなかったのでちゃんとた接待が出来なかった事は悔いが残ります、もう一度お呼びしたかったのですが「遠過ぎてめんどくさい!」って毎回言われてました、もう亡くなって両親と一緒に写っている写真がどこかにあるはずですが見つからない…。全国のロイヤルホテルを周るロイヤル寄席には良くお供しました、浜松ロイヤルホテルの独演会の時師匠がニコニコ笑いながら「これすげ〜だろう!プラチナの糸で作った袴だ!」と言って紺色のピカピカ光る袴を見せびらかせてきました、慎重履かせて意気揚々と舞台へ行き袴の自慢をお客さんにも言ってました、オモチャもらった子供みたいでした(笑)、がしかし!終わって畳む時に全くシワが取れなくて焦りました、師匠に見せたら「まあしょうがね〜な、プラチナだからな」と残念がってら顔を思い出します、あれからあの袴見てないけどどうしたのかな?お別れの会をやるらしいので車椅子でちょっと不便ですが東京行こうと思います、たくさんの思い出ありがとうございました、合掌。

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