運だけはよかった実況者

実況者の中で「運」に恵まれていた人ランキングがあったら、間違いなく自分は上位に入るだろう。

もう12年経ってしまうが、自分が実況動画を始めた2008年は、既に実況飽和状態だった。

そんな中、面白くもなんともない自分が、それなりに名前を知られるようになったのは、他でもない「運」のおかげでしかない。

『デビルメイクライ』というゲームをほぼ同時期に始めて、多少のライバル心があった「スパーク」さんの名前を動画内で出したことがまずきっかけである。

普通なら、耳に届かずそのままスルーされてしまうこと。

嬉しいことに、どんなに過疎だと卑下していても当時から見てくださっていた方はいた。
その後、当時更新していたブログに、「向こうの動画でそのことについて反応がありましたよ!」なんてコメントがついていた。(ちょっと朧げ)

動画を確認したら確かに僕の名前を出していた。

ただ、「だいぼん」と間違えられていたけれど。

それがきっかけで向こうのブログにお邪魔するようになり、コメントからSkypeを通じて色々とお話しする機会が増えた。

同年、とある事件が起こる。

スパークさんが文字通りスパークするきっかけとなった、『マリオカート』実況である。

当時、あのスパさんでも平均再生数が5桁に届かない状況が続いていたが、なんとそのマリオカート実況は数日で6桁再生を達成していた。

「うわぁ…すげぇ…」

今でこそ嫉妬したとか抜け駆けかと思った、などと軽口も叩けるけど、当時は化けた人物を前に圧倒された。
と同時に『マリオカート』の面白さを知ってしまい、走って家電量販店まで買いに行った。

「このままだと遠くに行かれかねない…」

そんな不安もあったような気がする。

その後スパークさんは、動画内で走っていた囲炉裏組の皆さんからフレンド申請を受けていた。
そりゃあ、数日でビッグウェーブを掴んだ男だ。
自分も急いでスパークさんにフレンド申請を出した。

その後もマリオカート実況は続いていたが、各々が各々のタイミングで動画を撮ってアップするという状況が続いていたので、みんなが同じレースを録画したら多視点で物事が把握できて面白いんじゃないか?ということを提案した気がする。
今だから隠さずに言えるけど、そこに自分も入れてもらえたら、何かが変わるんじゃないか?という強かな部分も込みでの発案である。

ここが、強めの「運」を掴んだピークとも言えるかもしれない。

その試みは見事に当たり、その一回と限らず多視点『マリオカート』実況は幾度となく続いていくこととなる。

ここで僕の名前を知った方も多いのではないでしょうか?

自分のマリカー実況は、それまでにない5桁の再生数と4桁のコメントをいただいた。
じゃあ他の動画は?となるが、そこは「運」というバブルを掴んだだけの男で実力は皆無。
同時進行の動画は鳴かず飛ばずの日々が続いてる。

次の「運」はスパークさんから共作の実況をやらないか?というお誘いだった。
もちろん二つ返事でOK。
タイトルは悪名高き『四八(仮)』
遠隔でお互いがお互いのゲームをプレイするというスタイル、ゲーム内容はアレだったけど、楽しさのピークはこの頃だったかもしれない。
「マイリス50いかなかったらやめる」
と宣言していたが、正直手応えはありました、ごめんなさい。

この動画も自分では信じられないくらい伸びた。
破壊神兄弟の「じゃない方」として名前が知られるようになった。
たくさんのファンアートも描いていただき、内緒にしていたが自分が描かれているものは今でも大切に保存してある。

ただ、伸びてしまった反動で慣れない環境に身を置く羽目になり、この頃少し体調を崩した。
当時、やや大袈裟に広まってしまって結構反省しています。
たった一ヶ月動画制作から距離を置いただけなので、今と比べるとかなりマシな部類じゃないかな。

活動裏では仲間内でのSkype通話が日課となっていた。
ここで掴んだ「運」として特出すべきは、あっかさんだろう。
この人の人脈というかコミュ力というのは目を見張るどころではなく、なんかよくわからない人同士を掛け合わせて仲良くさせちゃう能力に長けているように思う。
ここで掴んだ人脈は未だに通じている。

一年以上続いた『四八(仮)』実況も終わり、また個々での活動となっても、相変わらずソロではさっぱり。
『正義の味方』というゲームの実況は別格扱いだとしても、自分の満足する活動内容には程遠かった。

「ねとらじ」から「ニコ生」への移行が進む中、ここで掴んだ「運」がガチャさんだった。
最初の出演は所謂スパークさんのバーター的なポジション?なんか急に呼ばれたので行きましたってな感じでお喋りしてた気がする。

ごめん、ここらへんの記憶、マジで曖昧です。

長時間ニコ生を開催していて、夜中に終わると打ち上げと称して起きてる出演者でわちゃわちゃ駄話を垂れ流す放送をしていて、そこでコジマ店員という「運」を掴んだ。
ガチャさんもあっかさんと似て、こういう繋がりを作る天才だった。

コジマさんは、自身が実況を始める際に僕の、正確には僕達の動画を見てくれていたらしい。

「プレイボール!!」の第一声でこの頃の実況界を牽引してたと言ってもいい、多分この人にしたら眼中にないんだろうな、と勝手に想像してたぐらい立ち位置が違かった。
そんな人が親しげに話しかけてくれたのだから当然のように嬉しかった。

課長とモリ君に何故か好かれたのも運だろう。
彼らが主催したオフイベントに何故かお呼びがかかった、客としてではなく、出演者として。
彼らの知名度とコネクションからすれば、もっと大物と呼べる人はいたはず。
当時は腑に落ちたのかもしれないけど、今考えれば「何で?」の一言である。
女装してコントして、盛大にスベった。
でも生のお客さんの前での表現は、何にも変え難いぐらい気持ちよかった。

そんなイベントも何回かあって、コジマさんが自ら行動を起こそうとしていた。
何気なく言った、「前説でもよかったらやるよ?」が、今現在の立ち位置を作っている。
本当は表現者として上がるべき舞台なのだが、今はこの位置が精一杯。
セピアさんやコジマさん目当てのお客様に、「だいぽんさんの前説があると、あー、イベントに来たなーって感じるんです。」
と言われたことが嬉しかった。
なんだかんだで、今でも自分を知らない人に自分の名前は届いている。

本当に、そのときやりたいことをやってきた。
その度に「運」が自分に味方してくれた。
いい大人達とのコラボだって、本来ならあり得ないことが実現した。

「運」がよかったことに満足しているか?
ある程度は満足してる。
でも、個人の実力は全然乏しい。
周りは太陽でいっぱいだった。
そんな太陽に照らされたおかげで明るくなった月に過ぎない。
と言ったら月に失礼かもしれないけど。
人間、誰もが自分から輝きたいはず。
でも、自分にはそれが無理だとある程度確信となってしまった。
自分は、誰かがいて成り立つ存在なのだと。
だからといって、そこに落ち着いていいのか?
自分から輝くことを諦めていいのか?
今現在35歳。
もう時間はない。
「運」に頼りすぎた人間は、悲しいことに実力を伴えなかった。
そんな惨めな自分を痛感する時が何度も来る。
「だいぽんって誰かに寄生してばっかりだな。」
正論過ぎて反論の余地もない。
これだけで『しくじり先生』になりそうだな。

今だって、高クオリティの動画を作りながら、再生数が4桁止まりのYouTuberが沢山いる。
逆に、このクオリティで?と思いながら6桁7桁叩き出すYouTuberもいる。
センス、継続力、財力、運のあらゆる要素が複雑に絡み合って、どのタイミングでバズるかわからない時代。
そんな時代に、生きていく自信はない。
かといって死ぬ勇気もない。
あの頃、「運」で勝ち取ったあの感覚が、今でも後ろ髪を引っ張っている。

もし、また何かに勝てる時が来るとしたら、それは「運」のおかげなのか?
それとも他の何かか?

わからないけど、自分の過去の話はこれでおしまい。

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