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第10回 皇道維新研究会 大吼座談「『右翼の本分』を語る」

令和6年6月16日、大吼出版主催による座談会が行われた。
今年3月に開かれた討論会「若輩者の立場から」にてご縁をいただいた河原議長からの誘いもあり、また登壇者各々の主張を聞いてみたい思いもあり、出席の返事を出していた。


はじめに

当記事は個人の見解であり、当日参加された方、動画や他の記事を読まれた方と異なる見識である可能性があります。私の解釈という前提の元でお読みいただくことを願いつつ、意義や事実と異なる内容がありましたらご指摘ください。真摯に対応いたします。

また、当日弊會(宗教同人大納會)の頒布物『右翼―入門編―』をご購入いただきました方・お手に取ってご覧いただいた方につきまして厚く御礼申し上げます。
記載内容の相違がありましたらご連絡いただけますと幸いです。書籍や当時の情報から本文を構成した手前、実際に運動に携わっていた方との認識の相違もあったかと思います。

以下、本文は常体にて進めます。

登壇者(肩書は開催チラシより抜粋)

安田浩一(ノンフィクションライター)
宅建太郎(ユーチューバー)
森垣秀介(民族の意志同盟 中央執行委員長)
草壁悟(憂国清心同友会 議長)
龍水浪雲(神職 広島県内神社奉職中)
八木康洋(元在特会 会長)

総合司会:小針政人(大吼出版 編集長)
司会進行:河原博史(同血社 会長)

動画

今回も全編が「大吼ジャーナル」「真武士道」YouTubeにて公開されている。また、宅建太郎chにおいても会の冒頭部分が字幕付きで紹介された。
それぞれ最初の動画のリンクを貼っておくので全編を見てほしい。

開催趣旨

本座談会の趣旨については開会宣言ともいえる河原氏の言に詰まっている。
「右翼を取材した人、右翼を研究した人、他人から右翼と見られる人、右翼、いろいろな立場の人から右翼というものを話し合ってもらい、その中から何か生まれるもの、得られるものがあれば持ち帰ってもらうという意図で企画をした」
果たして議論の行方はその通りになり、様々な主張が交わされたが「右翼とはこうあるべき」ないし「これは右翼とは認めない」といった定義にまで至ることはなかった。質疑応答含め2時間で収まる議題ではなく、今日をきっかけに皆で改めて「右翼の本分とは何か」を考える契機となある会であった。ではその中身を見ていこう。

右翼は朝鮮人や暴力団がやっているのか

まずは司会の河原氏から「古い話ではあるが、ネット上では『右翼 = 朝鮮人』説というものがあったが、これに対してはどう思うのか」という問いかけがなされた。これが会の方向性を決めた一言だったように思う。
ネット上で右翼・保守的発言をする者であれば一度は見聞きする内容ではあるが、この問いかけに対して右翼関係者が公の場で回答するというのは初であったと記憶している。回答はまさしく三者三様であった。

「ヤクザの中には在日が結構いて、任侠系の右翼団体もあるが『右翼 = 朝鮮人』となると本当にそうか疑問であり、数字を示してほしい」(宅建氏)

「『右翼 = 朝鮮人』説は、ネトウヨの人たちが右翼との差別化のために言っているだけの話である」(八木氏)

元右翼活動家の龍水氏と現右翼活動家の草壁氏は共通して「尊皇の想いがあれば」「日本の国体を愛してそれを信奉するならば」何人(なにじん)であっても関係ないとの見解を示した。

そうした中、この質問に口火を切った安田氏は曺寧柱(そねいちゅう)の話から右翼の戦後史を紐解き、在日韓国・朝鮮人をルーツに持つ右翼がある中で、その団体の看板を背負っている者がその歴史を知らずして悪罵を投げつける様が許せないと糾弾した。ここから会の構図は「安田氏が用意してきた議題」に対して右翼陣営がどう対応するかという流れとなった。

安田浩一氏がもたらしたもの

「街宣右翼、行動右翼、民族派などと呼ばれている人とネトウヨは違うんですか?」
「群馬県高崎市にある朝鮮人慰霊碑の撤去現場に取材に行った際に出会った右翼は『維新のため』と言っていた。昭和維新・一人一殺の思想を持つ右翼の言葉の重みはどこにあるのか?」
「右翼は移民受け入れ反対というが、現実問題として我々が着るもの、食べるものの多くは外国人労働者によって作られている。もし今、明日から全ての外国人労働者を追い出してしまったらどうなるのでしょうか?」
「いわゆる冷笑系と呼ばれる立ち位置から離れてキチンと言葉を紡いでいく、それが右翼の在り方ではなかったか」

これらはいずれも会の中で安田氏から投げかけられた問いであった。この問いに対して右翼陣営はそれぞれ答えを出していくが、その流れこそが安田氏の用意していたシナリオだったのだろう。
安田氏の論戦はいわゆる左翼的言説をとる論客の得意とするものであり、長広舌をふるう際に敢えて「地方にはシャッター街が多い」や「今の右翼に一人一殺的な行動をしてほしいと思っているわけではない」などの挑発的な言葉を混ぜ、それに対する回答のどこかで齟齬を生む言動などがあればその点を突いて攻め立てるという手法である。
一方の右翼陣営は(右翼をよく取材している宅建氏も含め)自身の活動範囲で見える右翼の話に終始することになり、最後まで安田氏とかみ合った論戦に至ることはなかった。迂闊な発言がなかった点は安田氏に付け入る隙を与えなかったと言えるが、会の発言時間の割合から考えると安田氏に押され続ける右翼陣営という構図とも捉えられかねない状況でもあった。

この点においては質疑応答の際に発言した日本旭友会の岡崎会長が「安田氏の言は左翼がよく使う弁証法であり、論理のすり替えのような点があった。もっと『右翼はどうあるべきか』『若い人たちに何を伝えられるか』といった点について話してほしい」と看破していた。

かつてロフトプラスワンで数多繰り返されてきた「右翼 VS 左翼」といったトークバトルにおいても同様のことが繰り返されていた。石井一昌氏が主催した60年安保闘争40周年記念トークライブの席上だったと記憶しているが、延々と演説をふるう左翼人士に対して居合わせた客から「左翼の話は面白くない。だから人望を集めないんだ」といった言葉が飛び、そのときも場内の賛同を得ていた。

左翼は自分のフィールドで行われていることに対して報道も含めた情報を駆使して対極にいる者へ問い質す。一方の右翼は「自身の行動範囲内で見聞きしたこと」を話すため、左翼陣営の話す内容について「我々の身近にはそんな者は存在しない」と答える。
どちらも事実であるが、議論は交わることなく平行線を辿ってしまう。
今後、右翼陣営がこうした論戦への対策を練る必要があるかは別の話だが、相手の出方を知っておくには良い機会であったと思う。
個人的には真っ向から論戦を張るのではなく、重なる部分にのみ答える方法で良いと思う。その点において司会の河原氏が「我々が在特会に対して握手を求めたことはない」「一部をもって全部の右翼が在特会のヘイトを肯定していたと思われるのは心外」と答えたのは理想的な回答であった。

会を終えて

多くの参加者が感想として漏らしているように、当座談会は「これ一回」で終わるにはあまりに勿体ない内容であった。右翼は外からの目に対してどのような答えを出していくのかを考えることは、座談会のテーマである「右翼の本分」を語ることに通じる。
討論会を経て、そこで納得のいく言説を整え「令和の右翼とはかくあるべし」という答えをぜひとも見出したい。そうした期待感を持てる座談会であった。

補足

挨拶について

第一部の座談会が終わった際に、弊會の頒布物『右翼―入門編―』の紹介を兼ねて感想を話す時間を設けていただいた。
その際に「安田氏と宅建氏の見えている右翼は違う」といった趣旨の発言をしたが、それは上記のような「安田氏が用意してきた、差別的発言を行う右翼」と「宅建氏がこれまで取材してきた右翼活動家」とでは見ている内容が違うといった点を伝えたかった。なかなか限られた時間内で言いたいことを伝えるのは難しく、ここで補足しておく。
また、座談会の中で最も印象に残った言葉として草壁氏の「真の右翼は未だ見たことがない」を取り上げた。長く運動に携わりながらもそう答える様に心を打たれた瞬間であった。

『右翼―入門編―』としての見解

登壇者から発言・回答もあったが、『右翼―入門編―』においては「右翼 = 朝鮮人説」や「右翼 = ヤクザ・暴力団説」については以下のように記している。

思えば右翼は常に「何か」に擬態されてきた。古くは「ヤクザ」がそれにあたる。確かに大日本国粋会を作った梅津勘兵衛などは侠客の出であり、戦後の反共抜刀隊構想や全愛会議結成に際しても多くの侠客が加わった。しかしながらそれが右翼のすべてではなく、法華経を基にする田中智学や国家革新運動の北一輝なども右翼である。
戦後になると在日朝鮮人による右翼団体も多く作られ、そこから「右翼は朝鮮人である」との言説も現れた。これもまた史実の一側面でありこそすれ全てではない。同様に「ネット右翼こそが右翼」「宗教右派こそが右翼」といったものも一側面でしかない。
では「右翼」とは何であるか。この問いに答える動きこそが二〇二〇年のコロナ禍を経て現れた動きであり、ここに「第七期の始まり」を見て取れる。

『右翼―入門編―』P89

その後に引用した河原氏の言にもあるように、おそらく河原氏は上記の答えや、質問時に出た「右翼と保守の違い」や「エセ右翼と本物の右翼の区別」といった答えも持ち得ているだろう。
かつて大物右翼と呼ばれた人は、その思想を伝えることで右翼の教化を図った。今回の座談会を経て、河原氏は安易に答えを出さず、皆で考えることを重視しているように感じた。だからこそ次回の開催が楽しみであり、そこに集った人たちがそれぞれの「右翼観」を見出してほしいと願う。私もまだまだ「求道者」でありたい。

通販について

『右翼―入門編―』は下記より購入可能です。


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