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このアカウントは1985年北海道帯広市第二ウツベツ川沿でジャーナリスト草薙裕子さんが腐乱死体で発見された通称『第二ウツベツ川遺体遺棄事件』を風化させないため情報を公式、非公式に関わらず発信していくアカウントです

現在分かってること

1985年、北海道帯広市の第二ウツベツ川で女性の腐乱死体が発見された事件は、通称「第二ウツベツ川遺体遺棄事件」と呼ばれています。

事件の発端は、当時の北海道警察官僚が不祥事を行い、その裏付けを得ようとしていた札幌テレビ放送の記者、草薙裕子が消息を絶ったことに始まります。北海道警察は、草薙を拉致・監禁し殺害したとされ、遺体を遺棄したとされています。

事件は数か月にわたって警察による大規模な捜査が行われましたが、なかなか犯人が見つからず、一時は未解決事件となりました。しかし、1986年になって、自首した元北海道警察刑事課課長の杉山和彦が、事件に関与したと自供する形で発覚しました。杉山は、懲戒解雇となっていたこともあり、事件の真相を暴露しようとしたとされています。

事件は、当時の日本社会に大きな衝撃を与え、警察の腐敗を指摘するきっかけにもなりました。また、被害者の草薙裕子を象徴的な存在として、報道の自由の確立やジャーナリストの安全確保についても議論が深まることになりました。

1985年の「第二ウツベツ川遺体遺棄事件」は、北海道警察が札幌テレビ放送の記者、草薙裕子を拉致・監禁し殺害したとされる事件です。事件の発端は、草薙裕子が北海道警察官僚の不祥事を追及していたことにあります。暴力団と右翼団体とテキ屋の三つ巴の抗争事件には、事件の背景には関係がありましたが、直接的な関与はないようです。

1980年代初頭から中盤にかけて、北海道帯広市では暴力団、右翼団体、テキ屋などが関わる三つ巴の抗争事件が頻発していました。この事件は、賭博や債権回収、その他トラブルに関するものが多かったとされ、殺傷事件なども発生していました。

この事件が深刻化した背景には、北海道の地理的条件と社会的な状況が関係しています。北海道は広大な土地であり、治安維持のために警察力が不足していたこと、また地方都市である帯広市は人口密度が低く孤立していたこと、そして経済的な不況が続いていたことが要因となっています。

この事件に対し、北海道警察は暴力団排除条例をはじめとする法律の整備や警察力の充実などを行い、事件の発生頻度は減少しました。しかし、警察による一方的な弾圧など問題も指摘され、事件の背景にある社会的な問題にも対処する必要性が指摘された事件となりました。


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