充足思考

[ヨハネの福音書 2:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11]

それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。
イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。
ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。」
母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。
イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、
こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」
イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

カナの婚礼の奇跡は、イエスの公生涯で初めて行った奇跡である。
水がめには、それぞれ80リットルから120リットルほど飲料が入った。水がめ6つ合わせて480リットルから720リットル入る計算だ。
これはワインボトル640本から940本分の量である。

この奇跡で注目したいポイントはひとつ。
それは充足思考である。
つまり、今あるもので現状を満たすという考えだ。
便利な時代に生きる私たちにとって耳の痛い考えである。モノが溢れている消費社会において、必要なものが無くなれば、すぐに買い足す心配性な私たち。
現状、事足りているのについつい衝動買いしてしまう不足思考な私たち。

充足思考とは、心配からかけ離れた考え方なのだ。後のことを思い煩わず、今あるモノで満足していく。
まさにカナの婚礼の奇跡は、この充足思考を私たちに教えているかのようだ。
イエスがしたことは、今手元にある水をワインに変えるという方法を取られた。
神ではない私たちに考えられる方法ではないと思う。不足思考に囚われた私なら、今すでにある水の存在など忘れ、ハットから突然鳩が現れるマジックのように無から有を生み出す思考をしてしまう。
だが、イエスの方法は違うのである。
無から有でなく、有からさらに有なのである。
まさに今あるもので満足しなさい。ということだ。

[へブル人への手紙 13:5]
金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。


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