見出し画像

初恋4(完結)

 ここで話は変わります。時間はさかのぼりこの二学期が始まったばかりのこと。僕は39度の熱を出して学校を休みました。今思えば松本さんの不可解な行動に対する悩みと、遅れを取り戻そうと勉強に必死になりすぎたことなどで、心労が溜まってしまったのかもしれません。次の日学校に行くと、僕は体育祭の応援団の一員になっていました。多くの人の前で大声を張り上げたりする応援団という職業はとても不人気で、僕が休んだ日に行われた学級会で、僕がいないのをいいことにサッカー部の連中が僕の父が和太鼓をやっていたことを理由にして無理矢理押し付けたのでした。僕に断る勇気がないのも計算済みだったのでしょう。

 それで嫌々応援団をやらされたわけですが、僕のオドオドした雰囲気と何をしても妙にへっぴり腰な感じが逆にウケてしまい、応援団のマスコットという意味のわからない地位を確立することができました。特に下級生にはやたら受けがよく、廊下ですれ違った見知らぬ子たちに挨拶されるようにまでなりました。

 情けない人間は母性本能をくすぐり、母性本能は恋愛感情に直結することがよくあります。ある日、たまたま深山と下校している最中、突然来た一年生にラブレターを渡されたのです。

大熊先輩へ 体育祭で見たときから好きでした。何日でもいいので付き合ってください。もし先輩に好きな人がいるのなら私は諦めるので、はっきり本当のことを教えてください。お返事ください。 ○◯より

 その妙に傲慢なラブレターよりも問題だったのは、一緒にいた深山でした。その子の風貌が1年生の女子にしてはかなり大柄で、髪の毛はもっさりとしたものが肩まで伸び、顔はすこしはれぼったい感じで、当時ある大事件によって連日報道されていた某宗教団体の教祖に似ていたことから、「大熊は”ショウコウ”からラブレターをもらった!」と言いふらし始めました。

 それはクラスにまで飛び火し、マスコミに負けじと連日クラスで「♪ショーコーショーコーショコショコショーコーアーサーハーラーショーコー」の歌が流れ、空前のショウコウフィーバーが起こりました。何よりつらかったのはそれを松本さんに聞かれていることだったのですが、僕にはもうなす術がなく、これ以上問題を大きくしたくなかったため、その1年生のショウコウちゃんには「はっきり本当のことを」返事しませんでした。思えばあれが初めてもらったラブレターだったのに。

 そのラブレターをもらって一ヶ月程経ったある日のこと、学校裏で僕は突然1年生の男女20人ほどに取り囲まれました。かごめかごめ、かごの中の大熊先輩、いついつ返事くれるの。その中には例のショウコウちゃんもいました。ああ。とりあえずこんなところを人に見られたらたまったもんじゃありません。恥ずかしすぎます。「いや、悪いけど、俺、付き合う気ありません」後輩に向かってなぜか敬語。そうなると、その弱気に付け込まれ、「ひどい!」「何でだ!」「理由を言え!」「謝罪しろ!」「○◯ちゃんこんなかわいいのに」「○◯ちゃん泣かないで」「土下座しろ!」罵詈雑言の嵐。さすがに土下座させられることはありませんでしたが、2年後輩のショウコウちゃんに「すみませんでした」と深々と頭を下げることで事なきを得ました。いや、得た内に入らない。仮にも惚れた人に、しかも先輩を、集団で取り囲んで頭下げさせるってどんな恋愛感情なんだよ。今思い出しても鼻の奥がつんとしてきます。

 話を下駄箱に戻します。手紙を見つけた僕は上のショウコウ事件に懲りず、自分は今「モテ期」だと思いました。誰しも人生に一度は訪れるというあの至福の時間です。ドキドキしながら中を見ようとした瞬間、同じ下駄箱掃除をしていたサッカー部の奴に目撃されました。「あれぇ。何それ。見して見して」僕は全力で走りました。陸上部だったので足には自信がありました。上履きのまま外に突っ走り校庭を通ってひと気のない美術室脇のトイレに。どうやら追っ手は来ていないようです。さあ、そしていよいよ御開帳。

to 大熊くん このあいだのことは、なかったことにしてください。ごめんなさい。本当にごめんなさい。友達でいましょう。  by 松本

 ……?? 訳がわかりません。天国から地獄とか、そういうことじゃなくて、なにがなんだか状況が把握できないのです。まず、何で今更? 話さなくなってもう3ヶ月以上は経っています。それに「このあいだ」って。告白したのは8月の頭で、今はもう12月。……そういえば、この手紙が入っていた靴はいつから置いてあったっけ? 陸上部を引退したのは7月だから……。

 この手紙は、恐らく9月の最初、彼女が僕と目を合わせようともしかった始業式に入れたものでしょう。そうなるとこの手紙の内容、彼女の態度、全て合点がいきます。振った相手が何事もなかったかのように「明日暇?」って聞けば、僕だって「暇じゃねーよ!」と答えるかもしれません。涙も出ませんでした。

 力なく教室に戻ると、さっき巻いたサッカー部が、僕がまたショウコウにラブレターをもらったと話をでっち上げ、みんなであのショウコウソングで出迎えてくれました。何事も知らない松本さんも笑っていました。笑顔がとってもかわいかったです。

 一番の謎は、なぜ松本さんが答えを覆したのかということですが、そんなこと僕にはわかりません。本人しかわからないことなんじゃないでしょうか。手紙に「なかったことにしてください」と書いていたのですから、きっとここまで書いてきた話はそもそもなかったことなんです。ただ、卒業間近になった3月に深山から、

「お前のクラスの松本ってやつに告られてよぉ。あいつなんか(かわいこ)ぶっててマジキメー(本当に気持ち悪い)んだけど。え? ふざけんなよ、付き合うわけねーだろ、速攻断ったよ」

と言われたのがなにかのヒントになるのかもしれません。

エピローグ

 2001年暮れのこと。当時のクラスメイトで、そのころ毎週のように遊んでいた友人から、深夜のファミレスでこんな話をされました。

「そうそう。お前んとこあれ来た? 同窓会の案内状」

僕のところには、来ていませんでした。さすがに頭にきて幹事の名前が誰になっていたか聞いてみました。

「たしかー、金子と、高橋と、松本? だっけかな」

松本さん事件を知らない友人にばれないように、あとでこっそり確認しましたが、間違いなく「松本」と書いてありました。

 あの日、松本さんは僕に「友達でいましょう。」と書きました。僕はまだ、松本さんの友達ですか? AVを借りる時に無意識に松本さん似の子を捜してしまったり、ついこの間松本さんが駅ビルの時計屋で働いているという噂を聞きつけその時計屋の周りをうろちょろしていた僕には、そんなこと問いかける資格がないのかもしれません。

 っていうかもっと言うと、そもそもこんな「初恋」なんて大仰なタイトル付けていますが、本当の初恋は隣の席の女の子がおしっこを漏らした時に何か性的なものを感じてしまった小学校3年生の時のことです。

(おわり)

お金よりも大切なものがあるとは思いますが、お金の大切さがなくなるわけではありません。