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2019/3-7月 年記

日を記すのが日記ならば年を記すのが年記だろう。
そんな言葉はないのかもしれない。
1月から3月の途中まで書いたのでその続きである。

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過去を振り返っているまさにその間にも時は先へと流れている。
未来へと進んでいくことが正しいのだとするならば、僕たちは時間の流れる速度よりも早く過去を総括しなければならない。
1年の振り返りに2年かかっているようでは永遠に先には進めない。

しかし1時間には1時間分の情報量があり、1年には1年分の情報量がある。
一瞬一瞬に口に出した言葉目にした光景感じた温度の全てが今の僕たちを形成している。
互いに無関係であまりに重要な情報の集積。
僕たちの意識は一度に一つのことにしかスポットを当てることはできない。
そのためカオスで膨大な体験の連なりは意識によってそのまま咀嚼することができない。
とはいえ(そんなことが可能ならば)体験の全てを要素ごとに細かく分解して一つ一つ飲み込んでいくことは可能だろう。

しかし僕たちは前に未来に進まなきゃいけない(らしい)。
有限の時間の中で過去を見つめ今に足をつけ未来へ進む方向を探さなければならない(らしい)。
カオスで膨大な一年分の体験を恣意的に選択し、解釈し、圧縮して形に残すことで未来へ進もうというのがこの年記の試みである。
「1年を振り返ります!」と始めればいい話である。
では、

3月
2度目の大学合格が決まり、喜びというよりはただただ安堵感に包まれていた。
半年間のニート生活が報われたのだ。
一方で社会的存在である僕は半年間のニート生活で社会的な居場所のないことのヤバさを知った。
人より少しだけ時間はかかっているものの、結局僕のこれまでの人生は義務教育・高校・大学・就職と1秒たりとも何かに所属していなかった期間のない優等生経歴だったのだ。

初めての履歴書の空白期間。
なんとなく道の真ん中を歩けない感覚。
この受験生活の冬は身だしなみに気を使う必要もなければ余裕もなかったので基本的に上着のフードをかぶって生きていた。
あったかいので。
受験が終わって合格発表を待つまでの間、フードをかぶって街を歩いていたら人生初の職務質問を受けた。
道の真ん中を歩くとろくなことがないということである。
何にも所属していないだけで何も悪いことはしていないのだけど、なんとなく後ろめたい気持ちを警察官は察したのだろう。
優秀な日本警察。
大学生ですと嘘をついてその場を切り抜けた。
堂々と受験生ですと言えばよかったのに。

そんな半年間だったので誰に責められた訳ではないが、自分の中の社会が、社会という名の自分が、1秒でも早く世の中に所属を見つけて金を稼げと言うので合格発表のその日になんか仕事くださいというFacebook投稿をした。
何人かが連絡をくれて、これまでの人生でそれなりの人間関係は築けていたのだなと安心したし、少なくとも若いうちは職に困ることはないなと確認できた。
持つべきは優秀で優しい友人である。
空白のある履歴書を出す必要もなく口約束だけで何件かの仕事をしてみることになった。

娘はこの頃寝返りを覚えた。

4月
3月だったかもしれないが、友達ができるか不安だったためTwitterをはじめた。
#春から東大 タグで科類やクラスが同じ新入生を探してフォローした。
そんなタイムラインにいるとなんだか若くなった気がした。

入学手続きの後、新歓のテント列を歩いた。
全てが9年ぶりだし、新歓をする側もはるか前に経験しているのにまた新歓をされた。
20前後の女の子に「ご飯タダだから来るだけおいでよ」などと言われ、複雑だが悪くない気分になるなどした。
残念ながらこちらは早く帰って子どもを風呂に入れなきゃいけないのだ。
丁重に全てお断りしたが、楽しい経験であった。
新入生に混ざっても浮くほど老けている訳ではないんだなという安心感も得られた。

9年前に親と出た入学式に、今年は妻と子と出席した。
正確には義母も来た。
少し前までは式典というのはめんどくさいだけだと思っていたが、結婚式などを経験したことで区切りは区切りとしてやっといてもいいんだよなというおじさんのような気持ちになってきている。

授業は始まったが、いい歳して金をちゃんと稼いでないというコンプレックスから仕事をメインにやっていた。
それなりにちゃんと勉強したくて入ったはずなのに、無駄な固定観念は選択を誤らせる、と今は思う。
それもやってみなくては分からないことなのだが。

5月
勉強したいことがぼんやりと、ではあるが少しだけ具体的に見えてきた。

と同時に、そこまで金を稼ぐことに社会で成り上がることにモチベーションがない自分にも気がついた。
そんなnoteもいつか書いた気がする。
なんやかんや各方面に迷惑をかけながらではあるが、5月ごろからしばらくかけて、金を稼ぐのは最低限にして(時間的体力的精神的リソースをそこまで割かず)それなりにやりたいことをやっていける今の生活体制にすることができた。

向いてないことはやらない方がいい、というのは言い切ることはできないが、少なくとも、向いてない上に好きじゃないことはさっさとやめるべきである。

向いてない上に好きじゃない仕事にピーピー言ってた1ヶ月だった。
まあもうちょっとお金が欲しいのも事実ではあるので、向いてるか好きなことかで稼げたらいいなという気持ちだけは持ちながら探して行こうとは思っている。
とはいえ今日明日死ぬような生活ではないので、妻と子を愛せる余裕を持ち、もういいかと思うまでは、これ以上はワシの能力は及ばんなと思うまでは、知りたいことを勉強しながらカネのことを考えようと思う。

6月
28歳になった。
27から28、なんの感慨もない。
特に記憶もないような気がする。

特に記憶がないのでTwitterを遡ってみると、

おれはそこそこ賢いからこの世界に分からないことがあることは知ってるのだけどあんまり賢くないからほんとに何が分からないのかは分からないんだよな

ということをつぶやいていたので、そういう一ヶ月だったのだと思う。
この二度目の学生生活、何が分からないのかを分かるようにはならなきゃいけないという気持ちでいる。

7月
夏学期の前半の成績発表があった。
前回の大学生活では、駒場にいる間にとった優の数はわずかに1つだけだったが、早くも2つの優を獲得した。
なんらかの成長を感じた瞬間であった。

この月の後半には夏学期の試験があり、2回目で余裕なはずなのになんやかんやでヒイヒイ言いながら勉強していた。
結構な数の試験をこれまで受けてきたにも関わらず、試験初日には筆箱を忘れて周りの人に鉛筆を借りた。
2日目からはきちんと筆箱を持っていったのでこれもまた成長と言えるだろう。
語学だけは一生苦手だし好きにはなれなさそうだなと再確信した。

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完全に飽きてきているため内容がなくなってきている。
このままではいけない。
8月からの分はまたしっかり思い出して記憶のインデックスを作らなければならない。
5年後に見返してニヤニヤ読むそのためだけに...。

振り返るべき2019年は残り5ヶ月。
実時間の2019年は残り1日を切った。
時間が経過するその100倍以上の速度で過去を振り返る必要がある。
時間が経過する速度とはなんだ。
速度とは時間あたりの変化量ではないのか。
つづく

東大出てても馬鹿は馬鹿