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9/26 日記

今週から秋学期が始まった。
昼間は全く普通に大学生をやっている。

大学では大体一日を通して誰とも話さないが、ほどほどに好きなだけ勉強できる満ち足りた毎日である。
そういうことを言うと年齢が離れてるから友達ができないのだと思われてしまいそうだが、別に前回の現役大学生の時も昼はほとんど一人で食べていたし部活以外で人と話すこともそんなになかったので、僕がただそういう人間というだけのことだ。
それに少しずつ友達、というか話せる人もできてきているので心配しないでほしい。
基本的には友好的な人間だと思っているので、万が一これを読んだ同じ大学の人がいたら普通に仲良くしていただけると嬉しい。
ただ教室から出るときにわざわざ人を待ったりするのが苦手で、一人の食事が好きなだけで、本当は優しい社交的な性格なので、多分。
たまには誰かとランチもしますので。

教養学部も2回目だが、前回は何も学んでいないので(どうやって卒業できたのかいまだによく分からない)勉強しなきゃいけない必修の授業もそれなりにある。
なんかキーワードは聞いたことある気がするけどこんなことやってたんだなあと新鮮な気持ちである。
とはいえ黙って座って人の話を聞くことがわりと苦手なので、出席をとらない授業は基本的に図書館で一人で教科書を開いている。
授業に出た方が理解度は高まるのかもしれないが、自分のできるやり方で、できるレベルまででよいのだ。
bestを目指さない、のが結局自分にとってbestになる、かもしれない、ということがだんだん分かってきた。

数学って面白いんだなということに気づけただけでも、再入学してよかったなと思う。
受験のための数学はパズルのようで競技性のある感じが好きだったが、大学からのなんかよくわからない数学もちゃんと面白かった。
まだ、というか一生分からないことだらけではあるが。
18歳の時にその面白さにちゃんと気付ければ良かったなと思わないことはないけど、それは多分無理だったんだと思う。
無為で怠惰でセックスのことだけ考えて生きる時間も必要だったんだろう。
ちょっと落ち着いて腰を据えてやってみないと分からない楽しいことがあるのだ。
ようやく学問の入り口の入り口の入り口に立てたのかなという気がしている。
数学者にはとてもなれないし、他の分野でもここから学問で生きていけるほど甘い世界ではないとは分かった上で、この先なんの経済的価値を産まないとしても、学問の面白さにちゃんと気づけたのはほんとに良かった。
純度100%の自己満足ではあるが、とりあえずまあそれでいいだろうと思う。
それが許される時間を、色んなことを犠牲にして得たのだ。
そのツケは未来の自分が払えばいい。

先学期は自分のことながら28歳大学生という立場のよくわからなさに何をすべきかよくわからなくなって多方面に手を出して空回りしてしまっていたが、とりあえず方向性が落ち着いてきたのでそれなりにいい感じの学期にしたい。

そもそもなんでこんな歳で再び大学に入ったか(あまり一般的ではないし褒められることではないので自嘲的にならざるを得ないが、ふーんで済む普通のことになればいいなとは思う)と言えば、色んな理由がある中で、根っこの根っこは現実社会での成功を諦めたからである。
何か自分にもすごいことが、社会的に目立って褒められることが、できるんじゃないかという淡い期待を抱きながら何もして来なかった27年間だったわけだが、短い社会人生活の中で全くそんな才能がないことが分かったのだ。
成功するにあたっての色んな実務的な能力(体力とか計画性とか)が足りないのはもちろんそうなのだが、それらは努力して鍛えればもしかすると伸びるかもしれない。
そんなことより、そもそも成功に、現実世界での何らかの成果に、本当のところでは興味がない自分に気がついたのである。
いわゆる激務の仕事ではなかったが、それでも普通に働くというのはかなりの時間と体力を労働に奪われるということで、毎日思うことは集中して本を読む時間と体力が欲しいなということで、あんなにサボっていた勉強をしたがるようになっていたのだ。
やればやるほど労働の意味が分からなくなり、本当のことを知りたい気持ちだけが募っていった。
何らかの社会的成功を収めたいと思っていたはずなのに、限られた時間と体力をそちらの方向に割く気は微塵もしなかった。
そんなわけで、その他諸々の生活的事情を勘案した上で医学部再受験へと動き出したのだった。

なんだか綺麗にまとまったようにも見えるし、とりあえず今はそんな価値観と方向性で、なるべく勉強して少しでも本当のことを知れるように頑張っている訳なのだが、きちんと解決していない問題もある。

それは、この選択は逃げではないかということ。
いや、というか逃げであることは確実で、現実から社会から逃げ、大学という知の世界に助けを求めたのだ。
まあただその知の世界から現実社会への逃げ道も用意してあるのが医学部だったりもするのだけど、それは今はいいだろう。
逃げること自体は別に悪いことではないし、何事からも身体的精神的社会的に致命的な事態になる前に逃げるべきではある。
ただそれが自分の本当の欲望に蓋をした上での逃げだとすると、あんまり良いことではないのかなとは思う。
つまり、仕事がめんどくさくて辛かったから社会的に成功したいという思いに蓋をしてこちらに逃げてきた可能性はないか?ということだ。
本当のことを知りたいとか綺麗事言ってるけど、成功するだけの能力がないから成功に価値がないって思い込んでるだけじゃないの?ということ。
酸っぱいブドー。
それについては、わからん。
わからんけど、その可能性は忘れないようにしなければならない。
もし蓋をしたまま腐ってしまったら成功者を叩くインテリ崩れの無能オヤジになってしまうのだ。
まあそれも一つの様式美ではあるけれど、できれば腐る前に気づきたい。

ただ一つ言えるのは、目立った現実社会の成功者にならずとも、なれずとも、僕は現実社会で生きなきゃいけなくて、しかも子どもまでいるもんだから、グズグズ言ってないである程度の金は稼いで来なきゃいけないということ。
分かりやすくていいじゃん。
かなり高い確率で数年後には医者になるので、ちゃんと勉強したちゃんと人の役にたつちゃんと稼げるヒトにはちゃんとならなきゃいけないなというのは、今の人生の全ての前提にある。
やっていき!

とりあえず、意味があるのかは分からないけどなんだか満ち足りた毎日を送っていますという自慢日記だった。
普通の日記を書こうとしたのに半生を振り返ってしまったので、この夏の日常の記録を箇条書きでまとめて終わろうと思う。

・すね毛と脇毛を全剃りして家庭用脱毛器で脱毛した(まだ定期的に脱毛は進行中である)。かなり生えてこなくなった。脱毛した理由は特にない。
・台風15号で停電した千葉にシャワー支援に行った。箇条書き程度でうまくまとめることはできないけど、行ってよかったなと思った。ボランティアではなくバイトで行ったので金はもらった。そこまで良い人間ではないが悪い人間でもない。
・娘が一歳になった。ディズニーランドで永遠に歩き回っていた。何はともあれ一年無事に育ってくれて良かった。かなりコミュニケーションが取れるようになってきた。自由な間で屁をこくので度々父母から爆笑をかっさらっている。

チャオ👋

東大出てても馬鹿は馬鹿