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11/21 日記

ほんとに寒くなってきた。
早く暖かくなればいいと11月にも関わらず思い出している。
春は遠い。
春は遠いが毎年冬至になるとなんとなくホッとした気分になる。
冬至を過ぎても寒さはまだまだ深まっていくとは言え、なんらかの意味で底をつくことが少し救いのような気がする。
僕らの(そして誰のものでもない)地球は23.4度傾いて太陽の周りを廻っている。
だから夏があり冬がある。
そして一番太陽が当たらない位置にきたときが冬至になるのだ。
そこを過ぎればまた陽の光が増えていく。
株価しかり人生しかり、今が底だと確信を持って言えることなんてほとんどないが、冬至は確かに一つの底なのだ。
確かな底のあるあたたかさ。
そんな話は冬至になってからすればいいのだけど、今日思ったから今日書く。
冬至まであと一ヶ月、なんとか生きていく。

そんな今週末は大学の学園祭がある。
まあ今更参加することもないし若者の邪魔だけはしたくないのでそれほど関係はないのだが、準備は少し手伝うと言ってしまったので今日一日お手伝いをしてきた。
そもそも前回の大学生活だってちゃんと学祭に参加したことなんかほとんどないので、準備を一日やるのも初めてのことである。
結論から言えばたくさんの若い人が忙しく動き回っているというだけでなんだかエネルギーに満ちた楽しい時間空間だった。
それに手を動かしてなんかを作ることはそこそこ好きなわけで、一円の金にもならない労働とはいえ割合いい一日になった。

と同時に、これは何も今日に限った話ではないのだが、自分より少し若い人達と、自分がかつて過ごしていた環境にいると、どうしても自分が前そこにいた頃のことを思い出してしまう。
あまりに多い可能性とどうしようもなく動けない自分と満たされない欲望の日々。
もちろんずっと鬱々としていたわけではなく楽しいこともたくさんあったのだけど、今数年前の自分と同じ歳で同じ環境にいる人々を見ているとどうしようもなく根底に横たわっていたしんどさばかりが思い出される。
そういうわけで元気で楽しそうな人々を見たとて、若くていいねえとか18歳に戻りたいなんてことは全く、本当に全く思わない、思えない。
当然ながら全員が全員横たわるしんどさを抱えているかというとそんなことはなく、心の底から今を楽しんでいたり今の僕よりずっと成熟した精神を持ち現実をしっかり生きていたりする人もたくさんいるに決まっている。
それを差し引いても、僕が今彼らを見て思うことは、ただ、端から全員抱きしめてやりたいということである。
黙って、強く、抱きしめたいのだ。

いろんな面で中途半端な20歳前後の人々を乳幼児のように可愛いと思えるほど僕はまだ老成していないし(中高生くらいはだんだん可愛く思えるようになってきた)、全員が真摯に頑張って生きているわけでもないことはよく分かっているし、愛おしさでもねぎらいでもない、この感情をなんと呼ぶべきなのかは分からないけど、ただただ全員をこの短い腕と薄い胸で抱きしめたい。
しかし向こうが全くそれを望んでいないことは分かっているので、にやけそうな顔を引き締め難しいことを考えているふりをしながら動き回る若者の群れの中を抜けて帰ってきた。

身分は大学一年生だが、気分はおじさんなので若者に見返りを求めず愛も金も一方的にあげたいのだほんとは。
おれは意外とそういうところがある。
だが現状金も愛を与える気力も我々一家の分しかないので、人生はまだ若者に与えることが許されるフェイズではないようだ。

経験したことのある環境に一周してまた存在しているというバグから、どうしても自然と過去にフォーカスしてしまうことが多いのだけど、無闇に若者を抱こうとせずに、溢れ出す金と愛を若者に与えるためにも、ミーのナウのヒアを足元確かめながらやっていかんといかんなと反省したという日記だった。

皆様今週末は駒場祭へ。
多分行かんけど晴れたら少しは行くかもしれない。
おわり

東大出てても馬鹿は馬鹿