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前を向いて生きて行こうぜ!!!!!!

こないだ久しぶりにまともにnoteを書いたんですよ。一個前の記事です、読んでね。
で、自分の文章って世界で一番面白いんで投稿してから8回くらい読んで、思ったんですけど、なんか気づけば前向きな感じでまとめてんなこいつ、って。
いつからそんな人間になったんや?って思ったんですよ。
いやめっちゃ面白いんですけどね。

何の話を書いたかっていうと、最近はなんかイライラしてるなって話をして、でもやれることはやっていかなあかんわな、ってまとめてたんですよね。僕が。

そんなの、ちょっと昔の自分だったら、なんかイライラして何もまともにできてないな、サイアクー、未来は暗い世界は終わりって言って終わってると思うんですよ。
なんか、それでもなんとかやっていかなあかんなって思うようになってしまったというか、思わないといけないなって考えるようになってしまったというか、人様に公開する以上最低限前向いてますよっていう風に見せなあかんなって無意識に方向付けてしまってるな、と。

世間に思わされているのか自ら思っているのか、それはあまり重要でないというかはっきり分けられるものではないんですよ。
僕たちに自由意志などなく、結局環境からのインプットありきで考え方は規定されていくわけなので、やってるのかやらされてるのかはどうでもいいんですね。

今の僕たちを形作っているのは生まれつきの脳ミソの回路とこれまで出会ってきた人々や置かれてきた環境、あと運、それだけです。

今日はそんな話がしたいわけじゃなくて、なんでこんな前向きgirlになってしまったかという話ですね。
クソうんちダメ人間であることをそのまま晒せばいいのに、いつからか僕はうんこを照明付きのアクリルケースに入れて見せるようになってしまったんですね。

うんこをうんこのまま見せたらええやんと思う自分がいるのと同時に、うんこを見せるダサさというか、それは甘えやろと思ってしまう自分もいるわけです。
うんこだから仕方ないよねよちよちって言って欲しいのか、うんこだとしても綺麗にみせる手間をかけろよ、お前のうんこをうんこのまま愛してくれる人がいると思ってんなよと。

なぜなら午前4時に書いてるからです。話が要点を得ないのは。
倒置法。
時には自分の理性を弱らせて意味のわからないことを浮かび上がらせてみるのも、いいんじゃない?面白いっしょ?甘えんな。

まあそういう風にマッチョな思考になってきたこと、ちゃんとまともな体裁を整えることをよしとするようになったことをね、基本的にはいいことだと思ってるんですよ。
それは自分がそれなりにまともなことをやれるんじゃないか、という自信がないと、前を向いてうんこに最低限の手間をかけていくということができないからです。
やれることをやっていこう、というのは自分がやれることをやれるかもしれない、という小さな自信がないと言えないし思えないと思うんですよね。

世界を変えるとか、2500億円稼ぐとか、1万人抱くとか、ノーベル賞とるとか、そういう自信はもちろんないんですけど、それでも内面的にも社会的にも自分が70%満足できるような、ちょっとした幸せはもしかしたら手に入れることができるかもしれない、そういう自信、あわよくば、です。
そういう小さな自信を芽生えさせることができたのかもしれないなと、思うんですね。
じゃないと世間様に自分のちょっとした希望を晒すことなんてとてもできないですから。
ささやかで脆弱で春の微風で吹き飛ぶような希望ではありますが。

ただ、それと同時に、自分が何もしなくても、汚いうんこでも、そのまま認められるんじゃないか、という希望、自信はさっぱりと失われてしまったな、と思うわけです。
それが、気付いたら無意識に「なんとか頑張りますので見放さないでください見下さないでください」という態度の、noteや、youtubeや、tweetや、友人との会話、になってしまっているのかなと。

もしかしたら70点がとれるかもしれないという自信、が僕に前、正面から30°くらいはずれてるかもしれないですけど、だいたい前を向かせて、前を向いているというポーズを世界にとらせるんですけど、それは同時に、前を向いていないともう誰にも認められない、気にかけてもらえない、という不安でもあるわけです。
別に人に認められなくてもいいし愛されなくてもいい、そんなことはないんですね。
愛されたいし認められたいし褒められたいし社会的地位もお金も欲しいということです。
そしてスーパーラッキーガールであるところの僕は今現在に限って言えば65点くらいの愛や金や承認を皆様に頂けているんですよ。38点くらいの頑張りのわりにたくさんのものをいただいているんですよ、ありがとうございます。

これまでは12点の頑張りで29点くらいのものをもらっていたので、大幅な成長ではあります。
ただ65点をもらってしまうとそれを失う怖さもまた出てくるものでして、より一層、前向きなポーズをとるようになるんですね。
もう29点の世界には戻れないんです。

つまり何も頑張らないけどそのまま愛されたいと思っていた、子どもの世界、家庭の世界、から、少なくともプラスの価値を提供する、あるいは、未来において価値をもつようになるだろう(それが現在においても価値になります)、という期待を皆様に与えないといけない、大人の世界、市場の世界にいつの間にか肉体的にも精神的にも足を踏み入れていたということです。
どっちがいいとかではないし、もう戻れないし、やっぱり何もせずに認められようとしている人に甘えんなよと思ってしまうようになってしまったし、それはそれでいいこともたくさんあるんですけど、なんか、金とか、価値とか、他者から測定可能な、そういうところに重きを置く、そういうところにきてしまったんだな、と思います。

一回も読み返さずに書いてきたんで何の話してんのかよくわからなくなってきましたけど、前向きに生きてくことになりました、という話でした。

僕はもう、まともなふりをして、あたかも未来に希望を持っているかのような態度をとって、そしてそれがもしかして本当なんじゃないかと信じながら生きていきますし、そういう風にやっていかないといけないとも思いますし、そうとしか思えないですし、うんちをショーケースに入れて皆さんに見せていきます。
皆さんは僕のかわりに、世界に絶望して未来を諦めて、それをそのまま見せて欲しいなって思います。
よろしく。

おわり

ヘッダ画像は私ことスーパーラッキーガールの子どもであるところのスーパータレントガール(2歳)撮影になります

東大出てても馬鹿は馬鹿