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10/22 日記

現在、社会から切り離された生活をすることに成功しているため、特に言いたいことのない日々だ。
フェミニズムも表現規制もデートで男が奢るべきかどうかも、なんだか遠い世界のようで全部どうでもよくなってしまった。
ツイッターなりニュースなりでそんなのを見ると何かを言おうと脳が自動的に動き出すのだけど、2秒後には別にどうでもいいじゃん数理統計学の勉強しようやとなってしまう。
社会は良くならないし世界は終わっていくけど、ただ自分の内なる世界のことだけを考えて生きていけばいいような気がしている。
ただ多分これもバイオリズムみたいなもので、またそのうち「おれの考え」を言いたくなる日は来ると思うのでその時はまた言い始めることにする。

ということで日記を書こうと思う。

最近は数理統計の勉強をしている。
来月ある統計検定を受けるつもりだ。
一応一回は東大の理系を卒業してるので統計学のさわりくらいは分かっている、と思いきやなんにも知らないのである。
統計ってのはわけわからんのである。
とはいえ最近知りたいなと思って読む本の全てに統計の話が出てくるので止むを得ず勉強を始めた。

統計ってのは結局確率でしか物事を教えてくれないため、99パーセント以上の確率で正しいと言われても、いや1パーセントは分からんやんということになるわけで、その辺がわけわからんし意味あんのかいと思って避け続けてきた理由でもある。
ズバッと100パーセントで正しいか正しくないか教えてくれやと。
ただ考えてみれば我々は統計的にしか世界を見ることができない。
遠くにいる人物と近くにいる人物を見れば、遠くのやつは小さく見えるし近くのやつは大きく見える。
だからといって小人と巨人が同じくらいの遠さにいると思う人はあんまりいないはずだ。
同じような大きさの人間が遠くと近くにいると当たり前のように考えるだろう。
ただそれが小人と巨人である可能性もあるはずで、我々の脳が今までの経験をもとに最も可能性が高いパターンを推測してるだけなのだ。

僕らは統計の世界を生きている。
ただ統計をそのまま扱っていては行動に移せないため、脳は一番可能性が高いやつが100パーセントの確率であるかのように考える。
無数の可能性を無意識下で認識しながらも、意識上では0か1かの事象に変換してしまう。

浅い知識で恥ずかしいが、そういうわけで、人間のほんとのところを知るためには統計は避けて通れない概念だなと思って勉強している。
ようやく標本空間が頭の中にできてきた気がする。
集中力も頭の回転も自分の理想からは程遠く遅々として進まないので、世間では合格は不安視されているが、大切なのは負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと(信じ抜くこと)なので、自分の頭の不出来に絶望せずゆっくりとやっていくしかない。
落ちればまた来年受ければいいのだ。
かといって始めから来年を見据えてると来年まで勉強しないので、今年受かるぞという気概も大切である。
その辺の諦めと努力のバランスを低高度で保つ術が最近ようやく身についてきた。
高みを目指して絶望することなく、低きに走って堕落することなく、自分の足りない能力で実現可能なレベルで。
自分の想定の範囲内で生きる。
なんてつまらない大人だ!
やめてくれ、これも生きるためなんだ。

次、すごいと言われた時に思うことの話。
時々人に経歴を話すとすごいですね!と言われることがある。
謙遜でもなんでもなく、ここまでの人生は恥ずかしいことこの上ないと思っているので対応に困る。
それが(受験勉強できて)すごいですね!だと、まあそこに限って言えば確かにそこそこできる方ではありますナァと言えるのだが、(人生選択が)すごいですね!だと、やめてくれ人に頼って生きてるだけでそんなんじゃないカラ...となる。
それも歳上や同世代くらいの人にすごいですね!と言われるのであれば、会話の流れでお世辞で言ってくれてるもんだとしてイヤイヤァと笑って流すこともできる。
だが18-19の若者に純粋な目で言われてしまうと、いや、ほんとに、違うんですよ、全然すごくなくて、ほんとに、となってしまう。
それでもって進路相談的なものまでされてしまった日には、やめておけばいいのに、それらしいことを言ってしまうからさらにどうしようもない。
僕がやっていいのは漠然とした悩みに共感するところまでで、具体的な解決策について口を出して良い人間ではないのだ。
身の程を知って少々の後ろめたさを抱えながら生きていくことを忘れてはいけない。
根がまともな人間ならば堂々と生きていけばいいが、僕ら(あなたもだ)のような者は後ろめたさを抱えて生きるからこそ社会に周囲に優しくできるし、多少はまっとうに生きていこうと思うこともできるのだ。
全てが正当性に裏打ちされた、後ろめたさの一切ない人間がどんなことをしてきたのかは歴史が語るところだろう。
お天道様に胸を張れない選択をしろ、そして後ろめたさを抱えて優しく生きろ。

最後、台風の話。
15号で停電した千葉に行った話は前回書いたが、ここ最近は19号で洪水被害に遭った長野に何度か行っている。
ボランティアではなく、知り合いの企業の手伝いで行っているのでバイト代ももらっている。
あまり善意に満ちた人間だとは思わないでほしいが、そこまで悪い人間でもないことは知っていてほしい。
同じ台風とは言え被害の様子はまるで異なっていた。
強風で屋根や壁が吹き飛び、停電が起きていた15号。
大雨で川が氾濫し住宅が浸水し下水処理機能が奪われた19号。
これに地震や津波のことも考え、様々なパターンに対して備えをしなければならない。
災害に対して生き延びねば、と思うようになったのは歳をとったからか家族が増えたからか。
とにかくごちゃごちゃ言ってないで生きなければならないステージに来てしまったらしい。
現場を見て色々感じたこともあるが、とりあえず今は一日も早い復旧を祈るばかりだ。
明日も長野へ行く。
ヘッダ画像は長野の林檎畑。

月並みなことを言っておわり




東大出てても馬鹿は馬鹿