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またコーン茶を箱で買った

 「コーン茶?」と僕が尋ねると、彼女は「ここ最近生協で売ってるんです。飲みやすくて、けっこう美味しいですよ」と答えた。確かにその頃から少しの間、「コーン茶」や「とうもろこしのひげ茶」を店頭で見かけることが多くなった。韓流ブームの影響みたいなものもあったのかもしれない(当時は少し下火だった気もするが)。
 大学生だった僕は、ひとつ後輩のその子のことが好きだった。好きだとことばにしたらすべてが終わってしまうから、自分のその感情からずっと目を背けていた。ポエティックに表現すると、そんな感じだった。

 何気ない会話のきっかけが欲しくて、僕もコーン茶を飲むようになった。真似をしているおかしさはあまり感じられない程度には、生協にはコーン茶が大々的に並んでいた。思った以上にコーンの香りがしておもしろかったけど、確かに飲みやすくて、おいしかった。
 飲料メーカーのコーン茶推しは居酒屋にまで及んでいた。大学生が飲み会で使うような店で、「コーン茶ハイ」や「とうもろこしのひげ茶ハイ」をよく見かけた。僕はアルコールに強かったので、体育会系でもない学生の飲み会で酔っぱらうようなことはなく、飲み過ぎたお調子者の介抱に追われるような損な役回りだった。彼女はあまりお酒を飲まないふりをしながら明るく場を盛り上げていたけど、ちょっと赤くなるくらいで別に弱いわけじゃないことを僕は知っていた。

 そんな居酒屋のうちのひとつに、何かの飲み会の二次会か三次会で行きついたことがあった。たぶんそこそこ大人数で始まったはずだけど、そのときには両手で数えられるくらいの人数になっていたと思う。彼女が座ったテーブルの奥の席の正面を狙って、スッと腰かけた。バレてはいなかったと思う。
 「また一緒になりましたね」と彼女は笑った。彼女はいまでいう“あざと女子”だったけど、芯が強くて頭が良くて、怒らせると怖いことをみんな知っていた。思い上がりでなければ、彼女と僕は仲が良かった。でも、そんなふうにひとを思い上がらせる力が彼女にはあるということもわかっていた。
 曖昧に返事をした僕はメニューを開いて、「ひげ茶ハイがあるよ」と言った。ふたりしてそれを頼んだ。遅くまで賑わっている安居酒屋、なかなかファーストドリンクが出てこない。ひげ茶ハイを待ちながら、彼女は正面に座る僕をまじまじと見て、「めっちゃなで肩ですね」と言ってころころと笑った。普段からそのくらいには明るい子だったけど、そのときは少し顔が赤かった気がする。


 彼女との思い出は、そのくらいしかない……と書くと少し強がりになってしまうとは思う。それからも何度かこちらから誘って、ふたりで飲みに出かけるくらいには執着していたし、そのくらいの距離の近さはあった。
 好きな人とそのくらいの距離感でいられることは確実に楽しかったのだけど、でももうこれ以上進展はないだろうという直感もあって、結局それに耐えられなかった。当時よく使っていた東上野の地下にある薄暗いダイニングバーで飲んでいたときに、だいぶ焼酎を飲んだあとでちゃんと告白をして、ちゃんとお断りされた。ふたりで会ったのは(もちろん)そのときが最後だ。言葉少なに駅まで彼女を送る、徒歩10分ほどの道のりが、永遠にも感じたし、一瞬にも感じた。

 コミュニティというのはどうしようもないもので、彼女とはそれからも何度か顔を合わせることはあった。僕も僕で何もないふりをして、仲良さげに振る舞っていたけれど、最初に話しかけてくれるのはいつも彼女のほうだった。「お疲れさまです!」というよく通る声は、好きになる前からずっと変わらない。そんな強さのあるひとだった。


 それらの出来事からだいたい10年。最後に顔を合わせてからも、8年か9年くらいになるのではないだろうか。この間、僕はSNSとの付き合い方や、もっといえば人生のやり方に悩んで、知り合いをブロックしたりアカウントを消したり、アドレス帳を全部消したりしたので、彼女の(というより、学生時代の知り合いの大半の)その後を知らないし、連絡をとろうとしてもとれない。
 まあそれでいいよな、と思う一方で、失われていったものの大きさに少し震えるような思いもある。コーン茶を教えてくれた彼女のことはもう何もわからないのに、コーン茶を飲んでいる僕だけが、僕の世界において取り残されるようにしていまも生きている。

 コーン茶を店頭で見かけることは少なくなったが、引き続き普通に流通はしているらしい。去年の夏に北海道に行ったときにはコンビニに普通に置いてあって(流石とうきびの本場だ)、そのときはのどが渇くたびに手に取っていた。
 東京に戻ってきてからも、なんとなく飲みたくなることが多くて、ネット通販で箱で買うようになった。食事とも合うし、カフェインもない。ここのところはずっと、ペットボトルを1本かばんに入れて出勤するようになっている。
 Amazonのセールで安くなっていたから、思い切ってまた3箱買った。少なくともあと72回は、コーン茶と一緒に一日を過ごすことになりそうだ。

 もうすぐ33歳になる。大学時代に好きだった人のことを、「彼女は」だなんて語る文章を書くような年代ではない。でも、そんな彼女のこととはかかわりなく、親や親戚が思い浮かべるような"人生"の云々から目を背けて生きていると、そんなことばかり思い出してしまう。たぶん、哀れなのだと思う。でも、このようにしか生きられないとも思う。
 いつまで正気を保っていられるのだろうか。わからないけれど、とりあえず明日も朝起きて会社に行くしかない。ひとまず今日のところはそれでいいのだと、信じるほかない。


 Twitter(いまは名前が変わってしまったけど、僕が2023年2月に辞めたのは確かにTwitterだ)を辞めてこういうことを書く場がなくなってしまったけど、書く必要がなくなるほど人間や人生が変わったわけではないので、残しておいたこの場所にチラッと書きつけてみました。

 別に誰かや何かが嫌でTwitterをやめたわけじゃないので、これを読んだあなたは飲みに誘ってくれてもいいんですよ。コーン茶ハイを出してくれる店を探しておきます。

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