Paulo Nimer Pjota -画集寄稿文の試訳(未完)

 出版社「Mousse Publishing」から以下の書籍が出版されている。

 当書籍は数年前に入手し、Paulo Nimer Pjotaの制作物を舐め回すように眺めてはいたものの、まともに寄稿文に目を通していなかったので、NY個展があったことを知ったのを機に、読み下し、また、訳してみることにした。

 ただ、タイトルにもある通り、翻訳作業は未だ完了していない。2024年6月現在、GERMANO DUSHÁ(当書籍p69~71)の寄稿文を試訳を試みている。寄稿文は序文+2章で構成されてるが、完了している試訳はまだ序文のみである。序文と一章の試訳ができたので更新した。

随時更新し、試訳を載せたい次第である。

 翻訳には不慣れな面もあるため、拙さが目立つかもしれない。そういった意味でも、適宜修正・推敲・更新を心がけるつもりである。留意・ご承知賜りたい。



大規模集会(A MEETING OF MULTITUDES)
GERMANO DUSHÁ

 「存在」、「欲望」、「活動」。これらの組み合わせから成る事物を、私たちはつねに往来(ストリート)で目撃することができる。その事物として、通りすがりの人間が使うスラングや、店先やバーで貼られるポスター、壁を覆う何某かの「痕跡」、建築物を支えるための仮設建造物などが挙げられる。これらには著作者を主張しない「集合的な力」(collective force)に満ちており、掴みどころの無い雰囲気がある。何より、いずれの事物にも異なった「時間性」が存在し、それぞれの「時間性」を均一化して理解することは困難である。
 Paulo Nimer Pjotaの作品の焦点は、無数の手によって行われる複雑なプロセスを経て産出された、大衆的なイメージの調査及び考察に置かれている。つまるところ、彼の作品は、さまざま意識の流れに従って関心と理解が絶えず変化し、尚且つ多元的で、忙しなく進行が続いている議論を意味しているのであり、これを表象化していると考えられる。定義されていない空間と、拡大された時間の中で行われる、開かれた知を携えた多くの声による会議。グローバルなイメージ生産の重要な側面に関心を寄せる彼の意図は、社会的に集合したイメージに深く根ざしたオブジェクトと密接な、(連想し得る)参照物と印象をクラスター化し、これを前面に押し出すことで、生産・編集・拡散という連綿としたメカニズムを鑑賞者に想起させることにある。
 要求がますますグローバル化され、反対に生産条件がますますローカル化される「超・コミュニケーション」(ultra-communication)の時代において作家(Pjota)は、本質的に対立関係にあるモチーフ同士を調和に導くための構成を編むことによって、「蓄積」(accumulations)と「並置」(juxtapositions)の二要素から機能する、新たな融合的空間の提案を作品として昇華し、試みている。また、リズム・韻・反復に基づいた作品制作を通して、地球規模の「共通認識」を示すことも試みており、その根深い不平等を明らかにするだけでなく、多様的かつ主観的な交流の上に成り立つ、刷新された社会・政治間の相互作用が生み出される可能性も示唆している。

世界的寓話とアナクロニズム(GLOBAL FABELS AND ANACHRONISMS)
 白いキャンバスの横に置かれた巨大な金属板は、Pjotaが倉庫や廃材置き場から、探し出し、交渉し、運び出すといった長期的なプロセスを経て入手したものである。時には、大きい布製の袋を加えることもある。これらの素材は、キャンバスに準ずるボード(board)として再構成され、配置される。ただし、彼の意図は従来のキャンバスのように、「白紙をつくる」ことにあるのではない。あるいは、物事を白紙化することにある訳でもない。既視的なビジュアルや精神的な痕跡を包括する支持体として、そして、すでに流通しているイメージや事物のを収容する保管庫としての機能を求めているのである。この、プラットフォーム化されたキャンバスとボードのもとで見られる描写は、綿密な構成実践と、ランダム且つアナーキーな自由意志との接点を基点に、展開されている。作品として取り纏める上で、編集(edition)と即興(improvisation)の双方を行き来しながらPjotaは、あらゆる場所に由来する物語や、登場人物が浸透した世界的な寓話を創り出した。その結果、隠喩と自由主義・抽象と具象・類似と暗示、これらの対比関係に深く結びつきながら、活気に満ち溢れるシナリオが生まれた。これは、私たちの知る世界の再構築を指している。つまり、鋭敏なユーモアのセンスと著しい集中力によって突き動かされる身体の群が、虚空に浮かび座標を結ぶことで生まれる集合体の、再構築のことである。これらのパッチワーク ── 絶え間ないメタモルフォーゼ ── は、数多ある種類のねじれや歪みから生成され、根本的に異なるカテゴリーや時代の集合体を生み出す。そうして私たちは、Pjotaの成果物から、ありえない交差やあらゆる種類のアナクロニズム(時代錯誤)の噴出を観測する。古典的な絵画や彫刻の決まり文句は、大量生産品と隣接した位置で再構築され、西洋文化の規範は陳腐且つ日常的にありふれたものと混ざり合い、普遍的な問題は地域的な訛りを伴って議論される。
 これらのアイデアは、皮肉な思索と能動的な困惑の複合的な動きによって縫合され、アイコンとインデックスを扱い、歴史を通じて私たちを導いてきた権力関係において、事前に定義された役割を揺るがしている。歴史に単一の方向性や、直線的な事実経過が無いことは明白である。何世紀もの歴史が互いに錨を降ろすように、私たちは真実の体制に大きな溝が開いていくのを目の当たりにする。事実上、従来の観念が提唱していたような物事の連続性を操作する「構造」は、解体されている。歴史的資料の正当性の代わりに、「無限の文脈化」という選択肢が出現しているのだ。

"Paulo Nimer Pjota",Germano Dushá, Mousse Publishing(2018),p69 筆者試訳




推敲しながら、次回は「ギリシャ製の壺、ステッカー、銃(GREEK VASES, STICKERS, AND FREE GUNS)」の章の試訳を当記事に掲載したい。


作品はもちろん良いので、みてほしい。



2024年6月5日
浅田大根



【更新】
2024年6月11日 試訳に、「世界的寓話とアナクロニズム(原題:GLOBAL FABELS AND ANACHRONISMS)」の章を追加した。


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